今も色褪せない青春映画 「いまを生きる」を観て | パンクフロイドのブログ

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こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

 

製作:アメリカ

監督:ピーター・ウィアー

脚本:トム・シュルマン

撮影:ジョン・シール

美術:ウェンディ・スタイツ

音楽:モーリス・ジャール

出演:ロビン・ウィリアムズ ロバート・ショーン・レナード イーサン・ホーク

    ジョシュ・チャールズ ゲイル・ハンセン

1990年3月17日公開

 

バーモントの全寮制学院ウェルトン・アカデミーではノーラン校長(ノーマン・ロイド)の下、生徒達は厳格な規則に縛られながら、学生生活を送っていました。その新学期に、同校のOBという英語教師ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムス)が赴任してきます。新しく赴任してきたキーティングは、そんな校風に風穴を空けます。彼の風変わりな授業に、学生達はとまどうものの、次第に新鮮な考えに刺激され、自らを変えようとします。

 

ある日、生徒のニール(ロバート・ショーン・レナード)は学校の古い年鑑から、キーティングが学生時代に『死せる詩人の会』というクラブを作っていたことを見つけます。彼はダルトン(ゲイル・ハンセン)やノックス(ジョシュ・チャールズ)たちを誘い、近くの洞窟で秘密裡に詩の朗読会を再開させます。ニールの同室である転校生のトッド(イーサン・ホーク)は内気な若者で、立ち合うだけという条件付きで彼も参加します。

 

やがて彼らは、自らを語りあうことによって、本当に自分がやりたいものが何かを自覚していきます。ノックスはクリス(アレキサンドラ・パワーズ)という娘と出会い、猛烈なアタックを開始し、ニールは俳優を志し『真夏の夜の夢』の舞台に立ちます。しかし、ニールの父親(カートウッド・スミス)は息子が自分で進路を決めることに反対し、彼を陸軍士官学校に転校させる手続きをしてしまいます。

 

26年前に観た時は、迂闊なことに現在の学生たちの事を描いていると勘違いしていました。今回、ファッション、自動車、ラジオから流れる音楽などから、50年代を舞台にしていたことに気づきました。ただし、「死ぬ時に後悔しないように生きろ」という主題は普遍性があり、この映画で描かれた内容は、現在観ても古びてはいません。

 

名門校に入学してきた学生たちは、比較的裕福な家柄に育ちながらも、人生の選択肢は限られており、親の決めた道に進もうとします。全寮制の学校側も、親の意に添うように、生徒が敷かれたレールからはみ出さないように、厳しい規則でもって指導を行ないます。束縛された学生たちに、一石投じる役目を果たすのが、新しく赴任してきた英語教師のキーティング。彼は元々赴任してきた学校の卒業生で、学校の内部事情は熟知しています。実際にそこで学校生活を送った経験があるだけに、生徒たちの気持ちは分かり過ぎるほど理解しています。

 

キーティングは画一された教育を嫌い、敢えて型破りな授業を行なうことで、子供たちの隠れた才能を引き出し、自主性を持った若者に鍛え上げようとします。教壇の机の上に学生を上らせて、異なる視点で物を見る重要性を説き、時には教室を飛び出して、詩の一節を読ませてからサッカーボールを蹴らせ、庭を自由に歩かせてそれぞれ個性の違うことを分からせ、ユニークなスタイルで生徒たちを刺激します。学生たちも彼の教えに感化され、今まで自分たちを縛っていたものを断ち切る行動が見られるようになります。

 

しかし、それは諸刃の剣でもあり、ある登場人物が自ら命を絶つ悲劇によって、彼の仲間たちも追いつめられていき、学校側はスケープゴートが必要となり、キーティングに刃が向けられます。それでも、キーティングの教えが根づき、学生達に受け継がれたことを示す、感動的なエンディングは今観ても震えが起きます。

 

26年もの歳月はそれぞれの俳優たちにも変化をもたらします。ロビン・ウィリアムズは既にこの世にいませんが、シェークスピア劇の人物をマーロン・ブランドやジョン・ウェインの物真似で演じ分ける芸は、今でも楽しく見られます。学生達の中心にいたニール役のロバート・ショーン・レナードが、その後映画では目立った作品に出演していないのに対し、イーサン・ホークは引く手あまた。憎まれ役の父親を演じたカートウッド・スミスは、私の中では「ロボ・コップ」と本作で悪役が定着しましたが、現在はどうしているのでしょうか?いずれにせよ「いまを生きる」は、懐かしさを覚えながらも、今も尚色褪せない名作であることを実感できる青春映画(もしくは学園ドラマ)です。