池袋 新文芸坐
東映時代劇を沸かせた新星たち より
東映にゆかりのある美空ひばり、大川橋蔵、東千代之介、中村錦之助、大友柳太朗、近衛十四郎の6人の役者が出演した時代劇を2本ずつ選び、上映する特集です。選ばれた作品は以下の通り。
美空ひばり:ひばり捕物帖 かんざし小判 おしどり駕篭
大川橋蔵:新吾二十番勝負 この首一万石
東千代之介:隠密七生記 暴れん坊兄弟
中村錦之介:一心太助 天下の一大事 江戸っ子繁盛記
大友柳太朗:丹下左膳 江戸の悪太郎
近衛十四郎:祇園の暗殺者 忍者狩り
今回は大川橋蔵、大友柳太朗の作品を鑑賞しました。いずれも未見作です。
この首一万石
製作:東映
監督・脚本:伊藤大輔
撮影:吉田貞次
美術:桂長四郎
音楽:伊福部昭
出演:大川橋蔵 江利チエミ 水原弘 大坂志郎 堺駿二 東野英治郎
平幹二朗 藤原釜足 河野秋武 原健策 佐々木孝丸
1963年4月21日公開
人入れ稼業の井筒屋で働く日雇い人足の権三(大川橋蔵)は町娘から人気がありましたが、身持ちが固く、浪人者・凡河内典膳(東野英治郎)の娘・ちづ(江利チエミ)以外は見向きもしませんでした。ちづも権三のことを好いていたものの、浪人の身の典膳はプライドが高く、人足風情にちづを嫁にやるわけにはいかないと、結婚を許さずにいました。そのため権三は、武士になりたいと願うようになります。
その頃、井筒屋に小此木藩の家臣がやってきます。藩の若君誕生を祝って御胞衣道中をするのに際し、節約のために日雇い人足を使いたいというのです。江戸から九州まで300里以上。条件の良くない仕事に、人足たちは誰もが渋り、籤引きで仕事を振り当てられます。その結果、権三は仲間の助十(大坂志郎)らと槍持ちとして旅に出ることになります。
通常長旅には、人足たちにも夕食にはお銚子1本ほどが振る舞われますが、今回の旅ではありません。そのくせ、武士たちは節約もせずに、領収証を水増しして懐に入れてしまうのです。人足たちは女遊びで不満を紛らわそうとしますが、権三はちづに遠慮して女遊びの誘いも断り、仲間から浮いてしまいます。同行する武士の一人、山添志津馬(水原弘)だけは、そんな権三の一途な姿勢に一目置きます。
ところが、権三は三島宿の手前で生爪をはがし、道中から遅れることになります。しかも運悪く、三島で江戸へ下る渡会藩の大名行列と小此木藩の御胞衣道中が重なってしまいます。大所帯の渡会藩が先に宿に着いた小此木藩に本陣を譲るよう頼んだのに対し、小此木藩の武士たちは当然譲るだろうという渡会藩の態度に反発を覚えます。その結果、小藩とはいえこちらには家康公の命を救った名槍阿茶羅丸を抱えているのだと嘘を吐いて、渡会藩の申し出を拒否します。ところが、渡会藩の知恵者・助川助右門(藤原釜足)の策略により、金を積まれた途端、小此木藩はあっさり宿を譲ってしまいます。
一方、権三は遅れて三島に到着した際、ちづそっくりの女郎ちづる(江利チエミ:二役)と出会います。権三は宿が変わったことを知らず、槍を渡会藩の本陣に置いたまま、我慢できずに女郎屋に向かいます。そのために、槍が名槍でないことが判明し、渡会藩に小此木藩の嘘がばれてしまいます。渡会藩は小此木藩に武士の作法に則った処置を迫り、小此木藩は以前から武士になりたいと望んでいた権三を身代わりにすることを思いつきます。
時代劇とは言え、恐ろしいほど現代社会にも通ずる普遍的なテーマを含んでいます。日雇い人足を派遣労働者、人入れ屋を派遣会社、弱小藩をブラック企業に置き換えれば、非正規雇用のために結婚できない若者の苦悩の物語となります。現代風にすると、差し詰め以下のような話になるでしょう。
大手企業を解雇された父親は、職に就けないまま、娘の働きによって養ってもらっています。娘には派遣社員として働いている恋人がいるのですが、父親は失業中の身にも関わらず、プライドだけは高く、娘の結婚相手は正社員でなければ認めないという固い信念があります。そのため、二人は結婚できないまま、現在に至っています。ある日、若者は派遣会社から条件の良くない会社での仕事が回ってきます。待遇が良くない上に、ブラック企業の幹部は経費節約どころか、領収証の金額を水増し操作して、会社の金を着服する有様。そんな折、ブラック企業は大企業を出し抜いて、大規模な受注に成功します。油断していた大企業は、何としてでもその仕事を獲りたく圧力をかけてきますが、ブラック企業は政府要人の名前を出して一歩も引き下がりません。大企業は仕方なく、金を積んでその仕事を譲ってもらいますが、後になってブラック企業が名前を出した政府要人は、何の関係もなかったことが判明。大企業はブラック企業に損害賠償を求め、ブラック企業は若者を正社員にするという甘言で釣って、責任を一切合切派遣社員に押し付けてしまいます。
と言った具合に、「この首一万石」は、権利を享受するばかりで責任を負わない現在の日本の指導者層の問題が、驚くほど活写されており、普遍性のある構造を持った物語になっています。武士の中には、人足を蔑まずに思い遣りを見せる山添志津馬のような硬骨漢もいますが、志津馬ですら結局武士の論理に呑み込まれ、権三をスケープゴートにする側に加担します。
ここで日雇い人足が素直に詰め腹をきらされるのではなく、武士を相手に大立ち回りを見せて、観客にカタルシスを与えるのが、東映の娯楽時代劇の面目躍如といったところ。一寸の虫にも五分の魂があることを見せる、権三の怒りが爆発する場面は、正にこの映画の一番の見どころです。多勢に無勢にも関わらず、たった一人で立ち向かう権三は、この瞬間、本物の武士となります。メンツや形式を重んずるばかりで、武士としての魂を失った武家社会を痛烈に批判した、伊藤大輔監督渾身の一作でした。
新吾二十番勝負
製作:東映
監督:松田定次
脚本:中山文夫 川口松太郎
原作:川口松太郎
撮影:川崎新太郎
美術:川島泰三
音楽:富永三郎
出演:大川橋蔵 大友柳太郎 丘さとみ 桜町弘子
長谷川裕見子 千秋実 沢村訥升 大河内傅次郎
1961年1月3日公開
葵新吾(大川橋蔵)は将軍吉宗(大友柳太郎)のご落胤でありながら、訳あって父との対面が叶わずにいました。老中酒井讃岐守(三島雅夫)は父子の心中を察し、彦根城中において親子の対面を画策します。しかし、吉宗の失脚を狙う一派は、新吾に暗殺者を差し向けます。新吾は刺客に襲われますが、讃岐守の隠密・甲賀新八郎(沢村訥升)に救われます。
翌朝、新吾の姿は、陰から支えてきた六尺六平太(千秋実)や、新吾を慕う讃岐守の娘、由紀姫(丘さとみ)の前から消えていました。新吾は亡き師、梅井多門の墓参りをした後、京都に入り、荒廃した御所の塀を目にして、修築する決意を抱きます。朝廷への介入は、幕府の政策にそむくことでありましたが、江戸城にいる生母お鯉の方(長谷川裕見子)とお縫(桜町弘子)の力添えで実現します。
しかし、そのことが新吾を葬ろうとする一派の耳に入るや、お鯉の方、お縫、讃岐守に留まらず、吉宗までも窮地に立たされます。母親が蟄居し、讃岐守も切腹させられるかもしれない話を聴いた新吾は、吉宗のいる二条城に駆け込むのですが・・・。
本作は「新吾二十番勝負」の1作目であり、前の「新吾十番勝負」は4部作で構成され、「新吾二十番勝負」も本作以降2作ある。東映のシリーズもののいいところは、前作を観ていなくとも単体作品として楽しめる点にあります。今どきの「ロード・オブ・ザ・リング」「ハリー・ポッター」シリーズに比べ、敷居は高くありません。もちろん前作を観ていれば、より楽しめるでしょうが、人間関係や物語の背景も話を追っていくうちに、呑みこめる親切なところがあります。
大川橋蔵演じる葵新吾が、やっかみたくなるほど女にモテる点は気に食わないのですが(笑)、彼に関わった者は何故か不幸に陥ります。純粋であるがゆえに善意の行為も、思慮の足りなさから、自分のみならず周囲の者にまで災難を及ぼすあたりは、ある種疫病神のキャラクターです。
本作では父子の対面ができるかどうかに主眼が置かれています。その件に関しては一応の決着を見せますが、本作は第一部であるため、新吾をつけ狙う白根弥次郎との決着はついておらず、新吾が父・吉宗の心情を汲み取りはしたものの、真の和解までには至っていません。その辺の未解決の部分は第二部以降に持ち越され、どうしても消化不良になるのは否めません。やはりこうした続き物は、最初から最後まで一気呵成に観るのが正しいでしょう。