一足お先に市川崑特集 「古都」「幸福」を観て | パンクフロイドのブログ

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池袋 新文芸坐 市川崑 生誕100年祭 より


来年1月から角川シネマ新宿において、市川崑監督の生誕100年記念映画祭『市川崑 光と影の仕草』が開催されます。池袋の新文芸坐では、それに先駆けて1週間ほどの市川崑特集が組まれました。今回私が観たのは、1月の特集からは漏れている2作品でした。


古都 1980


古都 1980


製作:ホリプロ

配給:東宝

監督:市川崑

脚本:日高真也 市川崑

原作:川端康成

撮影:長谷川清

美術:坂口岳玄

音楽:田辺信一

出演:山口百恵 賽川延若 岸惠子 北詰友樹 沖雅也

    泉じゅん 浜村純 加藤武 三浦友和

1980年12月6日公開


佐田千重子(山口百恵)は京呉服問屋の一人娘として何不自由なく育ちました。千重子は中学生のとき、父の太吉郎(賽川延若)から実子でないことを告げられていましたが、彼女と父母の関係は、実の親子以上に固い絆で結ばれています。父親は問屋の主人でありながら、職人気質の頑固さから地味な絵柄が多いため、返品されてくることもしばしばありました。それでも、千重子は父の考案する着物が好きでした。


ある日、千重子は友人の正子(泉じゅん)と、北山杉の村に行き、自分とそっくりな村の娘を見かけます。更に、祇園祭に賑わう宵山の晩に、「御旅所」にお詣りに行った千重子は、そこで七度詣りをしている彼女と瓜二つの娘を目にします。苗子(山口百恵:二役)と名乗る娘と千重子は双児の姉妹でした。二人の父は北山杉の職人で、生活苦から千重子を捨てましたが、間もなく杉から落ちて死に、母も後を追うように病死していました。孤児になった苗子は、北山杉の山林の持ち主(小林昭二)の家に引き取られ、現在は住み込み奉公と山仕事をしています。


苗子は姉の幸福を気遣い、一旦人混みの中に姿を消します。その時、千重子に思いを寄せる織屋の秀男(石田信之)が、偶然苗子と遭遇します。彼は苗子を千重子と間違え、彼女に帯を織らせてほしいと頼みます。困惑する苗子は思わず承知して、その場から立ち去ります。一方、千重子は幼なじみの真一(北詰友樹)から、兄の竜助(沖雅也)を紹介されます。竜介の父親は息子が千重子に気があると知り、早速太吉郎に竜介の養子縁組を申し出ます。


八月の末、千重子は秘かに苗子と再会します。家に戻った千重子は、双児の妹のことを父母に打ち明けます。太吉郎も母親のしげ(岸惠子)も苗子を家に迎えてもいいと快諾します。千重子は秀男にも苗子の存在を明らかにした上で、妹のために帯を織ってほしいと頼みます。秋になり、秀男は千重子との約束を果たすため、帯を苗子に届けます。その頃、千重子は竜助が、彼女が捨て子であることを承知の上で求婚してきたことに心を動かされ、結婚の申し出を承知します。そして粉雪が舞う夜、苗子が千重子の家を訪れます。


市川崑作品と言うよりは、山口百恵の映画として捉えたい一本。双児という設定のため、自然と彼女の出番も多くなっています。山口百恵主演の映画では「伊豆の踊子」「潮騒」「絶唱」「風立ちぬ」「泥だらけの純情」「霧の旗」と、ほぼ半数がリメイクで、否応なく昔の作品と比べられる運命にあります。正直今回も、中村登監督、岩下志麻主演の1963年版「古都」のほうが好みではあります。ただし、彼女の引退記念映画という点を考慮に入れれば、場面によっては60年代の「古都」には見られない味わい深いものにもなります。


同じ原作を映像化しても、やはり個々の作家性は如実に表れます。瓦屋根や北山杉の幾何学模様の撮り方は、中村登版「古都」を参考にしたような趣があるものの、日本家屋における美しい描写は、3年後の「細雪」の予行演習かと思われるほど、過去・現在・未来へと繋がる日本映画の連なりを意識させられます。また、今回のリメイク作を観たことによって、苗子が千重子に2度と会わない理由が実感として、より胸に迫ってきました。この1点だけでも、「古都」をリメイクする意味があったと思われます。千重子に見守られながら苗子が去って行くラストは、山口百恵自身が芸能界から身を引く姿と重なっていきます。



幸福


幸福


製作:フォーライフミュージックエンタテイメント 東宝

配給:東宝

監督:市川崑

脚本:日高真也 大藪郁子 市川崑

原作:エド・マクベイン

撮影:長谷川清

美術:村木忍

音楽:石川鷹彦 岡田徹

出演:水谷豊 永島敏行 中原理恵 谷啓 市原悦子

    川上麻衣子 草笛光子 加藤武 阿藤海

1981年10月10日公開



町中の小さな書店において、銃による殺人事件が起きました。派出所の警官からの連絡により、村上(水谷豊)、北(永島敏行)、野呂(谷啓)が現場に駆け付けます。既に犯人は逃走し、3名の被害者が横たわっていました。北は被害者の女性を見て取り乱します。彼の恋人・中井庭子(中原理恵)が、白いブラウスを血に染め、亡骸となっていたからです。やがて、残りの被害者の身元も判明します。大学教授の雨宮と会社員の遠藤でした。3人に共通点はないものの、遠藤は息を引き取る間際、「うどーや」と言う謎の言葉を残していました。


村上たちは早速3名の被害者の身辺捜査を行ないます。大学生の庭子は、社会福祉員のアルバイトをしており、中年女性・車崎るい(市原悦子)の自宅に足繁く出向いていました。殺人事件の後、るいの娘・車崎みどり(川上麻衣子)の死体が発見されたことから、みどりの死と事件との関連性が俄かに浮上します。やがて、みどりの遺体解剖から、実兄の吾一(倉崎青児)の子を身ごもっていたことが判明。庭子の手配によって、みどりは堕胎するも、手術後の経過が悪く、庭子が殺されたため、彼女の用意した宿泊施設に行けず、荒川の土手で死亡したことが分かります。警察はみどりの死亡事故と今回の殺人事件の関連がないと判断し、捜査は振り出しに戻ります。


そんな折、遠藤の妻から被害者が会社に400万円の借金をし、その金の行方が分からなくなっているとの連絡が入ります。遠藤が書店で購入した書物と、自宅から蕎麦屋の見取り図が見つかったことから、被害者が脱サラして蕎麦屋を始める計画であった事が確認されます。遠藤は大阪に勤務したことがあり、関西では蕎麦屋を「うどん屋」と呼ぶ場合がある事から、彼が最後に残した言葉「うどーや」は「うどん屋」を意味していた事も分かります。更に遠藤の銀行口座を調べたところ、400万円の小切手が安田(阿藤海)と言う蕎麦屋の店主に渡っていた事が判明します。これらの事から、安田が遠藤と共同経営者になる契約を交わしていたことが確実となり、殺人事件の容疑者として浮上します。しかし、安田は既に店を畳んでおり、村上と北は安田の故郷に向かいます。


エド・マクベインの87分署シリーズの一編「クレアが死んでいる」を映画化した作品。60年代の日本映画は、海外ミステリーを日本流にアレンジして、独自の佳作に仕上げた映画が意外とあり、本作もその流れを汲んでいます。


捜査の合間に、村上の家庭事情がじっくりと描かれており、この点が映画に程よいアクセントとなっています。妻の母親の葬儀にとんぼ帰りしたことがきっかけとなって、村上は妻に愛想を尽かされ、子供を残して家出されています。村上は家庭を顧ない仕事人間で、その積み重ねが、妻が家を出て行く原因になったのですが、彼はそのことを自覚していません。北の恋人の父親・中井良作(浜村純)も、妻が男を作った末に逃げられ、男手ひとつで庭子を育てた経緯があります。村上と中井には、それぞれの妻に対する振る舞いに共通点があり、村上がそのことに気づき、改めて自分自身と向き合い、変わっていこうとする話の運び方が巧みです。


子役2人の使い方に、若干あざとさが感じられなくもありませんが、それでも母親が子供たちをレストランに連れて行った直後に、家を出て行った話と、父親が子供たちに事件が解決した後にレストランに連れて行く約束をする話の繋がりには泣かされてしまいます。ただ、村上が小学生の子供をアパートに残し、遠隔地まで犯人逮捕に出かけるのは、家庭持ちでない私ですら引っ掛かります。また前半に関して言えば、先輩刑事であり階級も上と見られる野呂に対し、村上がタメ口を聞いているのも、日本の刑事ドラマでは珍しく感じられました。先頃亡くなった阿藤海や加藤武も出演しており、市川崑特集でありながら、奇しくもお二人の追悼の色合いも帯びるものになりました。加藤は警務課長として、捜査会議において金田一耕助シリーズでもお馴染みの例の台詞をカマすし、阿藤は終盤に重要な役で登場しています。