圧倒されました 「レ・ミゼラブル」を観て | パンクフロイドのブログ

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19世紀のフランス。ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は、パンを盗んだ罪で19年間投獄され、仮釈放されたものの生活に行き詰まり、再び盗みを働く。しかし、その罪を見逃し赦してくれた司教の慈悲に触れ、身も心も生まれ変わろうと決意。マドレーヌと名前を変え、工場主として成功を収め、市長の地位に上り詰めたバルジャンだったが、警官のジャベール(ラッセル・クロウ)は彼を執拗に追いかけてくるのだった。そんな中、以前バルジャンの工場で働いていて、娘を養うため極貧生活を送るファンテーヌ(アン・ハサウェイ)と知り合い、バルジャンは彼女の幼い娘コゼットの未来を託される。ところがある日、バルジャン逮捕の知らせを耳にした彼は、無実の罪で逮捕された者を救うために、法廷で自分の正体を明かしパリへ逃亡する。コゼット(アマンダ・セイフライド)に限りない愛を注ぎ、父親として美しい娘に育てあげる。だが、パリの下町で革命を志す学生たちが蜂起する事件が勃発、バルジャンやコゼットも次第に激動の波に呑まれていく。


レ・ミゼラブル 公式サイト



パンクフロイドのブログ-レ・ミゼラブル1


監督:トム・フーパー

脚本:クロード=ミシェル・シェーンベルク アラン・ブーブリル

    ハーバート・クレッツマー ウィリアム・ニコルソン

原作:ヴィクトル・ユーゴー

撮影:ダニー・コーエン

音楽:クロード=ミシェル・シェーンベルク

出演:ヒュー・ジャックマン ラッセル・クロウ アン・ハサウェイ

    アマンダ・セイフライド エディ・レッドメイン

    ヘレナ・ボナム=カーター サシャ・バロン・コーエン

20121221日公開


私が物心ついて最初に読んだ本は「イソップ物語」ですが、長編小説としては、ヴィクトル・ユーゴーの「ああ無情」が初体験でした。子供用にリライトされた本で、ユーゴーの小説の全てを伝えていたとは思えません。それでも子供心に強く印象に残った物語でした。そんな読書体験の原点を思いながらの鑑賞となりました。


「レ・ミゼラブル」は1985年の初演以来、27年間上演が続いており、本作はミュージカルの舞台版を映画化しています。「シェルブールの雨傘」のようにすべてのセリフを歌にして構成されているわけではありませんが、俳優が喋るよりも歌う部分が圧倒的に多いです。私がミュージカルを苦手としている理由のひとつは、今まで普通に会話をしていた人物が、突然歌ったり踊ったりすることの違和感に対応できないためですが、この映画に関しては歌の部分を多く占めていることにより、普通の会話に切り替わっても違和感はありません。正に逆転の発想です。踊りの場面がほとんどないことも、私には上手く作用していました。



パンクフロイドのブログ-レ・ミゼラブル2


ただし、セリフまで歌にして表現しているため、歌う内容が人物の心情や置かれている状況に触れると、拙い映画の典型である、セリフによる説明の野暮ったさが若干感じられるのが難点です。特にソロで歌う場面に、その傾向が顕著に見られます。逆に複数の人物たちによって合唱となる場面では、物語に高揚感が漂う効果が見られます。かわるがわるソロパートを歌い繋いでいき、最後に合唱となるパターンは、冒頭の囚人たちが綱を引いて船を寄せる場面、革命前夜の学生たちの場面で効果的に使われます。楽曲自体も素晴らしい出来で、粒揃いの楽曲なくして、これらの燃える場面は生まれなかったでしょう。


様々な人物が登場する中で、個人的に感情移入してしまったのが、革命に参加するマリウス(エディ・レッドメイン)を秘かに想うエポニーヌ(サマンサ・バークス)です。彼女は宿屋でアコギな商売をしているテナルディエ夫婦の娘であり、幼少の頃コゼットと暮したことがあります。ところが9年後には立場が全く逆転しています。コゼットはジャン・バルジャンに引き取られ、養女として裕福な暮らしをしており、偶然街で見かけたマリウスに恋をします。一方、エポニーヌはマリウスへの想いを伝えられず、コゼットとマリウスのキューピッド役をしなければならなくなります。二人の仲を裂きたいのに、マリウスのコゼットへの想いを叶えてあげるために、彼女の家を探し出し、またエポニーヌの父親と仲間たちがジャン・バルジャンの家に強盗しようとするのを知ると、警官を呼んで邪魔をしようとします。そして、死ぬ間際にようやく自分の想いをマリウスに伝えるのです。子供用のリライト版では、エポニーヌの記憶が全くないのですが、もし彼女が登場しているのを忘れていたならば、ホントに申し訳ないです。



パンクフロイドのブログ-レ・ミゼラブル3


エポニーヌとは逆に一番共感できなかったのが、実はマリウスです。この男は金持ちのボンボンのくせに革命に身を投じ、一人だけ生き残ります。それはいいとして、革命を起こそうとしている最中に、コゼットに一目惚れし、エポニーヌに彼女の家を探させるのです。エポニーヌがマリウスのことを好きなだけに罪深い。しかも、エポニーヌは彼を庇って、銃弾に当たって死んでしまうので、尚更やるせない気持ちになります。また、奴は革命が終わった後、ちゃっかり金持ちの実家に戻って、コゼットと盛大な結婚式を挙げているのですよ。これじゃ、革命のために殉死した仲間たちが浮かばれません。仲間たちの屍を乗り越えて、一人だけ幸せになろうとしている男に、あなた共感できますか?かなり私情が入りました(笑)。


サシャ・バロン・コーエンとヘレナ・ボナム=カーターのコンビは、登場人物が様々な心変わりをする中で、最初から最後までブレなくてアッパレ!と言いたいくらい、小悪党ぶりが光っていました。二人が歌いながら、次々と客の持ち物をくすねていくショットの編集は、このコンビの人物像を一瞬にして垣間見せます。余談になりますが、ジャン・バルジャンが年をとるにつれ、ヒュー・ジャックマンが次第にメル・ギブソンに似てきたように感じたのは、私の錯覚でしょうか?


「英国王のスピーチ」を監督しただけあって、トム・フーパーは様々な場面において風格を感じさせます。胸打つ場面は色々ありましたが、私が好きなのは革命の最中に、警官に銃で撃たれた子供の遺体に、ジャベールが自分の勲章をそっと置くところ。感情が昂ぶると共に、法が全てという彼の信念が揺らぐ象徴的な場面でした。その一方、ジャン・バルジャンが改心するきっかけとなる司教との交流を、あっさりと処理してしまったのは腑に落ちませんでした。少しだけ注文をつけたい箇所があるものの、ユーゴーの原作を、スケール感を損なうことなく、2時間半の映画にまとめたトム・フーパーの力量に改めて感心する共に、やはりこの手の映画はスクリーンで観てこそ、醍醐味が味わえると思った次第です。