Fonagyという人が(2016、2019)「謙虚さ」という言葉を使ってるんだけど、それまでの分析家って謙虚さがなかったの?ってツッコミをいれてみた。
たしかに、私が出会った分析家ってそれから程遠い場所におられたなwww
実際に、とあるメンタライゼーションの権威から
「私は、あなたの読んでない英語の本もたくさん読んでいるし、海外の有名な先生にバイズを受けているので」
と私個人におっしゃられたことがあった。
なんか誇大的な自己愛がヒシヒシと伝わってくる。それって謙虚なの?って思ったけど
それはどうでもいいとして、
Bateman&Fonagy(2016)は臨床家のスタンスの一つとして「Humility deriving from a sense of "not-knowing"」(p183)を挙げている。
not-knowingは未知の姿勢とも訳される言葉であり、言葉の通り「私はあなたのことを知らない」もっと言えば「あなたの専門家はあなた自身だ」という姿勢のことなんだけどね。
じゃぁ専門家ってなんだって話になるけど…
余談なんだけど、道元というお坊さんは、自己を習うということは自己を忘れることですよ、みたいなこと言ってるんだけど、勝手ながら、それに近いのかもと思ったりする。
専門家であろうとするとどこか不自然になってしまうことがある。その時専門性を一回捨ててみることも重要かもしれない。
まっ知らんけど…
ではまったねー
バイコロマルー!