こんちゃ犬猫です!
いや〜自己愛とは厄介ですなぁ!
ナルシストなんて鼻つまみものの典型のように言われますし、なんか自己中でなんかめんどくさぁみたいなイメージ超ありですよね!
でもKohutというおじさんは、その自己愛を、「自己愛への批判的な態度は西洋的価値の精神分析への侵入の反映である」(Siegel1996 岡訳2016 p86)と述べてはるそうです。
なんか難しい持ってまわった言い方ですな。自己愛ってのはそもそも西洋の言い方というか価値観の中で生まれた言葉で、精神分析もその真っ只中で生まれた理論なんですけど、その批判は表裏一体だみたいな感じかな、アハハ!
知らんけど…
Siegel(1996 岡訳2016)によるとKohutの考える自己愛は、いろいろあるけれど、理想と野心に向かうらしい。
さらに
①創造性
②共感
③儚さの体験
④ユーモア
⑤英知
に変容していくともあるそうだ。
ようするに自己愛は、自分を成長させる面があると言ってるっぽいね。
ただ一方で冒頭での自己愛とは厄介だなぁというのは、これが行き過ぎたときだ。
理想と野心が行き過ぎるとどうなるだろう?
私には自己愛的なところがあって、―自己愛性人格障害まではいってないと思うが・・・―よく言えば、理想と野心に燃えやすい―冷めやすい所もあるけど-。中でも理想化は強いように思う。ある先生を理想化するとその先生の本ばかり読んだり、その先生に教育分析を依頼したりすることもあった。そして研究会に参加させてもらうのだけれど、例えばそこで症例を報告したりしたとき、その先生からの言葉はどんな言葉でも、素直に受け取れるのだけれど、その他の人の意見は時に被害的にとらえてしまうようなところがある。実はこの前もそうだったのだ・・・反省。まぁそれはいいとして、理想化できる相手を持つことは大事だと思う。これには賛否両論あるかもしれないけれど、私はそう思う。特に初学者の方は、いろいろな研修会や書籍などを読んで、「この人は」と思う人にどっぷりつかってみるのもいいかもしれない。Winnicottではないけれど、そこで味わう錯覚は臨床をしていくうえで糧になると思う。ただいずれ訪れる脱錯覚もあるが、それもまた自分を見つめなおすいい機会ではないだろうか。
んじゃこの辺で今日は
バイコロマルー!