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pumpkinface59のブログ

Toshl/龍玄としさん関係が主だが、連想ゲームで脱線しがち。
ビジネスアカウント及び、ランダムなフォロー申請と思えるものは削除するんでよろしく。

今日は、さっき、知的生活崩壊阻止関連について書いた。書き始めたら例によってあっちこっちに考えが飛んで訳が分からなくなって長くなってしまったのだが、そもそも今日はそんな事を書く予定ではなかった。

そんなことより、Toshlさんの形容詞について書くはずだったのだ。

Xを知ったばかりでいろいろググっていた頃、英語のファンサイトに行き着いた事があった。

そこで、Toshlさんファンが使っていた形容詞が、はぁ、そういうふうに見えるんや、と面白かったわけですよ。

探してみたけど、出てこないので正確に引用できないんだけど、cinnamon rollといってるんですよ。菓子パン。知ってる?あっまい菓子パン。ワタクシ、結構好きです…。

 

パンダの縫ぐるみ、と書いてた人もいたな…。んもう、ギュ〜ってしたい、みたいな。

昔のメイクアップしてた頃の目がセクシーセクシーとうるさい人もいました。で、やっぱり最近はサングラスかけてて目を見せてくれないからとみんなで、目の見える写真を探すのよ!とかいっておったように覚えている。

ヨシキのブルーのコンタクトはやめて欲しい、私はあのブラウンの瞳が見たいのよ!とかいうのもあったな。

へぇ、と思ったのは、Toshloveさん達ならご存知かと思うけど、だいぶ初期に館山のお祭りに参加して撮られちゃったとかいう、酔っぱらってとろ〜んとした目の写真。

あれを、この目がいいのよ〜、私の待ち受けこれ!という人とか、もっと昔のらしい?晒し一丁です、みたいなカッコで大太鼓叩いてる写真を上げて、しゅてきなお御足(はあと)みたいなのもあった。

 

この、お祭りで撮られたとかいう写真、他でも見たはずで捕獲したと思ってたらしてなかったのですが、DMで何枚かPintarestにあるものを知らせてくださった方がいて、それがきっかけで自分でもGoogleで検索しなおしたら、出てきました。

Googleで「Toshi X Japan お祭り」と検索し、images(日本版だとイメージか画像?)をクリックすると、2枚、4枚の写真を1枚にまとめたものが2枚出てきて、そのどちらでもいいのでクリックすると「関連写真」として出てくるなかに4枚の写真を1枚にまとめたものがあって、それの右上のやつです。おみ足は。

 

TwitterのOnioniX@勇猛邁進って方の写真のようでした。…あれ?私この人のツイにリプしたことある。犬のことだったけど。勝手にここに載せるのはダメだと思われるので、興味のある方は探してください。

 

ちなみに、この4枚組写真の左下でトシくん(という感じですね、これは)の後ろに写っている男性、漁師さんなのだろうか。日に焼けて、大変引き締まった体をなさっておる。比べてトシくんは白くてちょっとぷよんとしておる。プリンみたい。ちょっとつつきたくなるような上腕だな。

 

教えてもらったPintarestの写真にも法被を上にきてるけど同じように大太鼓を叩いている写真があります。これも以前見た覚えがあったのですが、これ、私はてっきりもっと昔の、中学生くらいの時のだと思い込んでいたんですね〜。坊主頭だと思ってた。顔が幼いし、とか。よ〜く見たらおそらく同じ時に撮られた写真。うん、やっぱりワタクシの記憶力は当てにならん。なんか、「近所の子」みたいな写真だったんですよ…。でも、お祭りが楽しくて楽しくて堪んねぇ!って感じの表情がよき。今は行ってないんだろうな、というのがちょっと切ない。

メンバーの人は国籍も人種も様々のようだったけど、何を魅力的と思うのか、日本人とはすこ〜し違うのであるな、と思った次第。

ああ、でもね、やっぱり「声」がフックの人は多いみたいだったな。それと、人間性?優しそうとか、「まっとうな人間」のようだから、とか。Toshl「普通の人」論をたまに見かけるけど、違うやろ。それをいうなら、「常識があって信頼できるまっとうな人」やろとワタクシは思う。Singerとしてはどう考えても「普通」ちゃうし。

ちなみに、先に言及したおみ足についてはワタクシも異論ありませんよ?←ちなみにこの写真が見つからない。Pintarestで見かけたはずと思って、toshi 太鼓 と入れて検索したら、yoshikiさんが山のように出てきた…。

やはり、こういったものは出会ったときに捕獲しておかねばならないのだな、と学んだ土曜の午後。
 

や〜、続かんかったわ。


え、なんでて、そんなん分かってるやん。

T氏がいろいろぶっ込んでくるからやん。

 

YouTubeの龍玄チャンネルやろ、ニコ生の怒涛の動画アップやろ、2週続きの題名のない音楽会(および、それに伴うネット空間における動画捕獲活動)やろ、他にな〜んもでけへんようなるねん。

 

どうでもいいけど、にゃんたろうが関西弁喋る動画あるけど、あれ、元はどこなんですかね?

 

ふだんはな、としのこととしぴーてかわいくよんだるねん。えさほしいときだけや。

 

猫のクールさがよくでとる!て、にゃんたろう犬や!

 

あかん、どんどん話がズレてくる…。

 

備忘録として書きたかったこと。XもToshlさんもまったく関係ありません。最後に唐突に出てくるけどね。

 

PopeがIliad英訳のまえがきで書いた一節を読んで、そこまで分かっていながら「口承の詩歌だから」という考えは浮かんで来なかったんだ、と思ったのが、

 

Homer makes us hearers, and Virgil leaves us readers.

 

というものだが、

 

今日、Robert Fagles訳のOdysseyの、Translator’s postscripts (訳者あとがき)みたら、いきなり来たよ。

 

Homer makes us Hearers,” Pope has said, “and Virgil leaves us Readers.’ So the great translator of Homer, no doubt unknowingly, set at odds the claims of an oral tradition and those of a literary one, as we would call the two traditions now.

 

やっぱりそう思うよね。

 

この訳はBernard Knox のIntroductionは読んだはずだけど、Faglesによるpostscriptがある事に今日まで気づかなかった。なんということだ。

 

とショックを受けたので書いておくことにした。

 

それにしても、と狭い部屋の中を見回して思う。いったい、どれだけこの部屋に読み落とした文章があることか。そもそも、ページをめくってもいない本がいったい何冊あるものか。

 

もう一度ゆっくりじっくり読んでみたいと思いながらかなわない本もたくさんある。

 

死ぬまでに読め、この1001冊、なんて本まである。1000冊じゃなくて1001冊なのは千夜一夜にかけてあるんだろう。最初の1冊がそうだし。


表紙の作品は、American Psycho。これかよ!という選択だな。いや、読んどらんけど。読みたくないというか。夢に見そうで。

 

2冊目と3冊目が「竹取り物語」と「源氏物語」である。なんとなく、よっしゃあ!とうれしかった私は日本人。

 

ホメーロスがないやん!と最初見た時に思ったのだが、つまりそれは現在ではホメーロスの作品はbookとされていないからだったとしばらくして気づいた。それと、あくまで「物語・小説」でpoemsは含まないらしい。

 

ざっとタイトルだけ見てみると、110冊くらい読んだ本が含まれているのだが、恐ろしいことに内容をちゃんと覚えている本がものすごく少ない。10冊あるかどうかだったような気がする。日本語で読んだ本も、英語で読んだ本も、だ。中には、内容をほとんど覚えてないのに、読んだ時とか読後の感情のみ覚えているという本もあった。

 

でも、内容を覚えていないなら読む意味はないのかといえば、これは絶対にそんなことはないといえる。私の脳みその片隅に、もうすこし詩的にいうなら私の心のどこかに読んだ本のカケラはきっと残っている。澱のように底に溜まっているのかもしれない。そしてたまに、カケラとカケラが化学反応を起こしたりする。面白い。

 

ものすごく単純なケースだと、いわゆるパスティーシュとかパロディといった本は元が分かってないと楽しめないし、そこまでいかなくても、英語圏の本だと聖書やシェイクスピアからの引用が多いが、文章の意味だけじゃなくて例えば、引用されていたシェイクスピアの劇を見たことがあったり、よく知っていれば、その1行を読んだだけで、いろんなもの想起されるから、読んでいる本の理解も深まるし、いわゆる読書体験の豊かさといったものが違ってくる。

 

ちょうどホメーロスのオデュッセイアを読んでいるときに、the Economistという経済誌の記事でその一節が引用されててニヤリとした事があった。別に知らなくても記事の内容にはあまり関係ないんだけど、ライターに親近感覚えてしまった。あなたも、あの一節、「また出てきたよ」と思って読んでましたね?とか。


夜明けの度に出てくるんだよ。Now when the young Dawn showed again with her rosy fingers という表現が。もはや、これ全部で「夜が明けた」と同じなんですよ。Yoshikiさんの青い薔薇みたいなもんですよ。違うか。


でもY氏のpoetryって同じイメージが繰り返し出てくるよね?青い薔薇、止まない雨、明けない夜、流れる血、今は本人が止まない雨はない、明けない夜はない、といってるけど。


彼の人生の夜は明けたのかな。ちなみにThe Last Songでは「終わらない雨抱きしめた夜が朝を迎える」であって「夜が明ける」でないところに詩人を感じた。


Toshlさんは思い出は胸に秘めつつ、とっくに傘を閉じて前に向かって歩いていってるという印象があるな。今、その道に光が差しているのが嬉しい。

 

 

今日も〜どうでもいい事を書く。


新規なもんで動画ランダムに見がち。

この間、ライブでメンバーが手を繋いで何度かお辞儀して最後にジャンプする、例のritualを集めた動画を見てたら、初期の頃のTOSHI(あえて)の垂直跳躍力に瞠目した。はぁぁ?50センチ位跳んどらん?あれだけ走り回って叫びまくってヘッドバンギングして、歌い尽くした後で、である。

(分かりやすくする為、画像はモノクロにし、線を引いてみました)

ワタクシはキッチンで跳んでみた。グッと膝を曲げて力を溜めて、跳んでみた。20センチがせいぜい。10センチかもしれない。ま、股関節を痛めていた時もあったので、跳べるだけマシなのだが。

以前、初めて羽生結弦選手の4回転ジャンプを見た時も、居間でジャンプして回転してみて着地でよろけ床でお尻を打ち、数日痛みが取れず、全てのフィギュアスケーターに対する尊敬の念が爆上がりした事があった。

すごい!と思うと自分でやってみて、すごさを計測・実感したくなるタチらしい。いい加減、歳を考えろ、と自分でも思う。相手はオリンピックアスリートとか、運動部少年だった20代男子やで?!やめなされ。

歌は歌ってみようという気にもならない。音域狭くて音痴で小学校の頃すでにコーラスは(高音が出ずに)口パクだったからだ。もし、利三君が同級生でコーラス大会の練習仕切ってたら、殺意を抱いたやも知れぬ。

そして、跳んでみー、跳んでみーと焚きつけていたことであろう。

Toshlさんは足腰悪くされたようで、車椅子移動されている写真などもお見かけする。股関節の痛みが周期的に出るワタクシとしてもとてもシンパシーを感じるのであるが、彼の人もたまに昔のご自分の跳躍力など懐かしく思い出される事はあるのだろうか。