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pumpkinface59のブログ

Toshl/龍玄としさん関係が主だが、連想ゲームで脱線しがち。
ビジネスアカウント及び、ランダムなフォロー申請と思えるものは削除するんでよろしく。

なんなんですかねぇ〜。

 

3人の子トシ。

 

長男が金髪ロンゲで金網の家で歌っとるし、次男は革の家(なぜランドセル?!)でスタッズ革ジャン着て座ってるし、三男は「メタル」の家建ててるし、「紅だぁぁぁぁ〜‼︎」パロのシャウト連発やし、若いオネェさんたちがヘドバン(bangingというよりwhirlingやけど)しとるし、誰がどう見たってXのパロディ。

 

どういうプレゼンしたのか、心の底から知りたい。

 

私はこういうの笑えちゃう方だし(なんなら、UncyclopedeaのXの記事だって笑えてしまう)、Toshlさんがこれを断らずにやっちまってくれてるのが嬉しくもあったりするのだが、きっと、嫌だとかカッコ悪いとか、なんならバンドを馬鹿にしているとか思う人もいるんだろうな、と推察する。

 

羽生さんの時も思ったけど、この1年Xのfandomを覗き見てきて、本当に人によって感じ方、見方が違うもんだなと思い知ったよ。まぁ、確信犯的アンチ(または荒らし?同じなのかな)の偏執的書き込みの続くなんとかチャンネルなんかは別としても、同じ場面を見ていても、はぁ、そんな風に受け取るのか、ということが多々あって興味深かった。

 

自分が賛成できない、あるいは間違いであると思うコメントなどを見かけると反論してやる!訂正してやる!となりそうな自分も発見して自戒もした。どこまで行っても分かり合えなさそうな議論に飛び込んでいく気力も時間もワシにはない。

 

最近仕事が忙しくて、花園のTSも気付いたら終わってたり、Wowow放送日を忘れてたり(これは見れるわけではないけど)しておる。結構頭を使う仕事が続いたので、長時間働かない日でも、仕事が終わるとなんかボーッとしてしまってものが考えられない。

 

思考がまとまらないので、ブログが書けないわけですよ。Toshlさんの歌声から離れているわけではないので、時々にぼんやりと思うことがあるんだけども。今日のはもう、開き直ってグダグダ書く。

 

しかし、今ハッと気付いたのだが、「花園」という言葉に違和感がなくなっている。見始めた昨年の10月、11月頃には違和感ありまくりだったのに、慣れとは怖いものだ。いまだに自分がToshloveである、という確信はない。説得力ないかもしらんが。

 

出山利三という人の声の魔力に捕らわれた一人だとは思う。人は、馴染みがあるものを「良い」と思う性質があるとはいうが、聴けば聴くほど味が出る、じゃない、惹かれていく。

 

以前はXの曲以外はあまり聴きたいとも思わなかったのに、最近疲れているからか、加山雄三氏とデュエットしてる「時を超えて」なんかを「ああ、えぇなぁ〜」と感じている自分がいる。ま、あれですね、この辺は「夜明けのスキャット」がカタリストですかね。

 

本人のソロ曲は好きなのもあれば、いまだに「これはダメ」というのもある。「これはダメ」は、ほとんどの場合どストレートすぎる歌詞だけど。すみません、苦手なんです。

 

暗黒時代の曲はYouTubeなんかで聴けるのもあるけど、普通に避けてきたよね。それがたまたま、YouTubeをauto playで流してた時に、聴いたことのない曲がToshlさんの素晴らしい声で聴こえてきて、これなんやろ、と表示を見たら、どうやら暗黒時代の曲だった。

 

…。素晴らしい声だったんですよ…。

 

それで、改めて、昔のソロ曲の権利とか、暗黒時代に歌ってきた曲のことをちょっと考えてしまった。耳にした曲も、ワタクシ的には歌詞が「ウヘェ〜」と思うものだったし、メロディーもどっかで聴いたような、という感じだったけど、いやぁ、「声は素晴らしかったですね」、本当。

 

何より歌っていたトシさんは、心を込めて歌っていたんだろうなと思う。普通に好きな曲もあったんだろうなと思う。30代、40代の12年、そうやってその時、その時に心を込めて歌ってきた曲たちを葬り去らなければならない気持ちってどんなものかな。

 

それを言えば、今、Xの曲を公に全く歌わない・歌えないというのは心情的にどうなんだろうか。

 

暗黒時代も全く歌っていなかったわけで、「捨てた」ということになってたんだろうけど。それで復活ライブであれだけ歌えてしまうんだからな。いや、絶好調だったとは言わないけど、I.V.なんか歌えちゃうわけだし。訳わからん。やっぱ憑依型?

 

なんか話がまとまらん。ほら、疲れてる。

 

私事ですが、ワタクシこの2−3週間、自分比ですごく忙しかったんですよ。週末も働いて、日によっては16時間とか。通勤がないからどうにかなったけど、そういう働き方してると、確実に思考能力が衰えるのを実感した訳です。

 

目の前の仕事をこなすので精一杯で、仕事が終わっても他のことを考えることができない。ご飯を作る気にもならなくて、食生活もちょっと荒れた。

 

だから、ああ、なるほどな、腑に落ちた訳ですよ。身に染みて。12年もめちゃくちゃ搾取されて心身ともにボコボコにされてて「おかしいと思わなかったんですか」、とか、「なぜ助けを求めなかったんですか」、とかいうけれども、責任感はあって真面目な人が疲労のあまり思考力も気力も削がれてしまうと目の前のことをこなすだけでエネルギー使い尽くしてしまうんだな、と。

 

ちょっとYoshikiさんのことも考えたけどね。それこそめっちゃくちゃな仕事量らしいので。この方の場合、考えているようで考えてない。最後は野生の勘。どうせ眠れない。忙しすぎで訳わかんなくなってる。手は抜かない、妥協はしたくない。

 

…てな感じかなぁと思うわけですが、以前は、X、X Japanが人生そのものというならなぜそんなにX以外のものにいろいろ手を出すんや、Xのためのマーケティング?それにしちゃズレとらへん?と思ったりしてたんだけど、単に、思いついたこと、面白いと思ったことは全部やってみないと気が済まないだけなのかもしれない。いつ死んでも後悔しないように。

 

そういう意味では生きることに貪欲な人だなと思う。「逆算して」という考え方はないような気がする。

 

Toshlさんは逆算してるよね。以前から「歌えなくなる」日のことは考えてただろうけど、このコロナ禍で、人生それ以前にいつ何が起こるかわからなのだということが身に染みてわかった、みたいなこといってたね。いや、あんたの人生、そんなことの連続やったんちゃうん、と突っ込みたくはなったけど、一層振り切れちゃった感じなのかな。

 

疲れると思考力鈍るな、という実感からついついこの人たちのことに考えが飛んでしまうという事実に改めて危機感を覚える今日この頃でございます。あかん、あかんやろ!と思うよ、ホント。他に考えること、やることたくさんあるやろ!

 

ということなので今日はこの辺で。こんなものを最後まで読んでくださったあなたも、さぁ、もっと大事なことに時間を使おうぜ!花王のCM見てくるとか、余裕ぶっこいてる顔見てくるとか。いや、ひとまず洗濯機回そうか、自分。

もうだめだ。

全然ついて行けてない。

 

ニコ生

ナゾトレ

アタック3Xむかしばなし

 

カレー機関に出前された龍玄様は生放送中にチラ見しながら仕事をしていた。なぜなら週末も働いていたからだ(普通は月ー金しか働きません)。

 

鉄底夜歌は手を止めて見た。そしてTS中にそこんところは何度か見た、聴いた。しかし、気がついたら公開終了しておった…。

 

ナゾトレはまぁ、見れないことは分かっていたし、Twitterで短い動画が流れてきたのでありがたく拝聴。いや、しかし…。こんなでかい、真っ黒なサングラスをかけた50代の男性がなぜ「可愛ええ」と思えてしまうのか。

 

そして続くTwitterやInstagramによる波状攻撃。え、また花園あるんかい。え、Mステですか、ん、年明けはUTAGE? ま、花園以外は見られない前提だから、これも焦りはしなかったんですが、花王のCMにはやられた。

 

コロナ禍による運動不足の中、腹筋を鍛えさせていただいた。ありがとう。

 

Twitterなんかでも書きまくったけど、ワタクシは「残テ」PVのトップコメント(1400以上もGoodのついている、あれ)を目にした時から、いつか洗剤とか消臭剤のCMの話でも来るんちゃうかと思っていたのですが、来ましたね。「謎の清潔感」に深く同意したので、あのコメントはいざという時のために思わず英訳したくらいだ。いや、世界に知らしめるためにさ。

 

でもって、あれって、紙芝居を読んでいるお方はソロの白トシ様だけど、内容は完全にXのToshlのパロディだよね。ヘドバン3人娘とか、シャウトとか。なんとなくほっとしたわけですよ。ああ、龍玄としさんも、Xは全く範疇外でもないんだな、と。

 

続編が楽しみである。3匹のこぶた、じゃない、3人の子とし。金髪ロンゲ時代のトシ様もいらっしゃる。

 

絵柄も3作とも変えてくるあたりに力の入れようがわかるというものである。トシの恩返しが楽しみでもあり、怖くもある。まさか、まさか、ニュえるんじゃあるまいな…。

…のToshlさんがいたら、私はやっぱりライブパフォーマーを選ぶだろうな、と昨日から色々考えていて思い至った次第。

 

以前、技術が発達して完全無欠のToshlボカロができたらYoshikiさんはそれで曲を作るだろうか、とかいうことを書いたことがあるけど、KtSの凄まじいボーカルエディットの話をするYoshikiさんを見ていて、あり得るかもしれないと思った。

 

Toshlさんが以前、Yoshiki(の音楽に対する態度、こだわりかた)は変わってない。もっと酷くなってる、といったことがあったかと思う。これは技術が進化したからじゃないか。もっと精密に、より「真の音楽」に近づけることが可能になったから。

 

ここでいう「真の音楽」というのはYoshikiさんにとって、という意味だ。彼の頭の中で鳴っている音楽。

 

前回も書いたけど、Toshlさんの「僕は素材を提供させてもらってるだけですから」発言が、一片の誇張もない真実だったんだと、それこそスットーーーンと腑に落ちた。

 

Yoshikiさんがやろうとしている事は、美のイデアをこの世に現出させようとする様なものだ。

 

大袈裟だけど、彼の頭の中で鳴っている「完全な」楽曲を生身の人間の演奏と歌で再現しようとするのは、そういう事だろう。

 

それを諦めないのが凄まじいと思う。

 

その衝動を持ち続け、現出させようとする執念に圧倒される。

 

 

 

その一方で、

 

 

永遠はないから、美しい。

 

予測不可能だから、胸は高鳴る。

 

完璧ではないから、愛おしい。

 

失われるものだから、輝く。

 

 

そういうものだろう、と思う。

 

だからこそ、生の音楽を聞いたり舞台を見るといった、一期一会の体験をしたい。

 

 

だから。

 

いつかAIが、「不完全性」すら備えた(私にとっての)完全無欠のToshlボカロを作れる日が来ても、つまり、微かにずれる音程や、掠れたり裏返ったりとした僅かな瑕疵がランダムに現れるような事さえできるようになったとしても、やっぱり私は生身のToshlさんの歌が聴きたいしパフォーマンスを見たいと思うだろう。

 

というか、これはそう思う自分でいたいという希望。

 

生身のToshlさんがいなくなれば、あるいは歌えなくなったら、Toshlボカロにホログラム幻影のToshlさんでもいいから見たい、と思わない自信はないし、Xのライブの全没入型VR体験とかできるものならやってみたいと思うし、Toshlボカロがあれば、私がToshlさんに歌って欲しい曲を歌わせてみたいという興味・欲求はあるからだ。

 

そんな日が来るのかどうか知らないが、ひとまずKiss the Sky完全版を聞ける日が早く来て欲しいと強く願う今日この頃である。