歴史ある城と牛と鹿 | 青と緑とオレンジの。。

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エスパルスと旅と植物のある日常♪
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続けて書きます
ここからはデジカメの画像です
(バッテリー温存してた)



もう~なんて美しい佇まいでしょう
日本百名城83番、宇和島城(別名を鶴島城)

開けた山頂の一番奥
そんなに大きな建物ではないのに
その存在感たるや!

白い総塗り籠め造り
今まで見てきた戦う城とは対照的な、なんとも優雅な姿です



年代物の瓦には九曜紋
 
形は○だけど星の意味で
沢山の勝利を表す有難い模様なのですって
(星3つ×3)

伊達家の家紋の一つでもあります



この写真を撮った時点で、時刻は午後3時52分
頑張れば天守に入れた気もするけれど

出てくる人は居ても入る人はもう居ないし
どうしよう?

珍しい『桃瓦』なるものが、何とか外から撮れないかと
あっち行ったりコッチ行ったり…



じたばたしてるうちに時間切れとなりました

コロナで時間短縮されていなければ
いやいや、来る途中で洗車などしなければ

間に合ったと思うんだけど仕方ない諦めよう



それよりも、本丸の先端から見たこの景色よ

いま建物がある場所は当時は海で
宇和島城は海に面した水城だっただなんて

とても信じられません




そんな時代の移り変わりを
そこでずっと変わらずに見守り続けてきた宇和島城って

すごくない?

閉館しても、まだまだ登ってくる方が後を絶ちませんでした

 


伊達政宗の長男として誕生した兵五郎は
わずか4歳にして豊臣秀吉の人質として差し出されますが
秀頼(拾丸)の遊び相手として大切に育てられたそうです

それは今やってる『麒麟がくる』の、少し後の話になるのかな
それにしても今回の放送もなかなか切ないものでしたね 
(お陰で昨夜なんか変な夢を見た)

で、12歳になると今度は徳川家の人質となり
25歳でこの宇和島城の城主として宇和島伊達家が誕生した
とのこと



1615年に始まって
この樹木や植物も300年以上変わらずここにあるのだという

長い長い時間を生き抜いて
繋がれてゆく命の尊さを感じずにはいられません

…十兵衛、生きてよ…
回りの人たちの想いを全部受けとめて、追い詰められていく姿が辛すぎる

一昨年までは(福知山城に行くまでは)
謀反人じゃん?なんて言ってた自分が恥ずかしいよう



歴史なんて、知らなくても
普段の生活にはコレッポッチも影響ないんですけどね。笑

へぇ~そうだったんだ!
って思うナニカを見つけたら楽しいと思わない?

ちなみに『桃瓦』というのは、その名のとおり桃の形の瓦なんだけど
桃瓦のある城は全国に6つしかなくて
(和歌山城にもあったそうだ)
魔除けの意味で載せられているそうです

なぜ桃が魔除けかって?





それは黄泉の国でイザナミに追いかけられたイザナギが
逃げる途中にあった桃の実を投げて撃退したから

イザナギはその桃に『大神実命』
オオカムヅミノミコトという名を与えたんだそうですよ

そんな縁起のよい果物だったのね



宇和島には
闘牛だけではなく、『牛鬼まつり』というお祭りがあって
あの怒った牛のタイルはそれだったのです

戦国時代には戦いの最前線に装甲車みたいなのを据えて
牛の生首を刺して敵を威嚇したりしたそうな(怖
 
『八つ鹿踊り』は伊達家の仙台から伝わったものだそうです
日本って、広いようで狭いというか

みんな繋がっているんだなと改めて思いました




さて、駐車場まで戻り
ここから再び姫路まで行くわけですが

道端にあった標識をみて愕然としたよね
『高知まで201km』…だと…?
(高速は繋がっていません)

地元でいうなら、富士から名古屋まで下道で行く…?
高知から先は高速で行けるものの、果たして今日中に着けるのか

(・・;)


無理むりムリ絶対無理




そんな訳で
おとなしく来た道を帰ることにしました

松山自動車道・伊予インター辺りで陽が暮れて
あることに気がつくのです

「あ、今日お昼ご飯食べてなかった…」


_(^^;)ゞ



ホテルの夕飯など間に合うはずもなく
その先にあるSAで昼飯兼夕飯を頂いたのでした

コロナ対策としては丁度よかったかな
もちろんホテルには夕飯いらないと一報いれたのですけどね
(そしたら四国に宿とればよかった)

そんな経験もまた楽し♪



あ、例の桃瓦は
そのあと思いがけない所で出会えるのです




          
                                           つづく