
風の下には永遠の平和が
波となりて寄せ返し
島々は神の海の下で手を握り合う
波となりて寄せ返し
島々は神の海の下で手を握り合う
「私」(島(アイランド))は自然の摂理として風や空などの「あなた」を求め、そうしながら「あなた」の愛に浸食されていきたいという至高の存在=愛を求めてさまよい続けるというテーマを持ったピート・シンフィールドの作ったラブ・ソング。1971年12月3日に発売されたキング・クリムゾン4枚目のアルバム「アイランド」のタイトル曲。
1972年1月15日にはキング・クリムゾンは最初の解散声明を行っています。その時はロバート・フリップ以外のメンバー離脱による解散、フリップは「次に登場する時は魔術的なバンドとなっているだろう」と言い残して表舞台から消え、翌年には「太陽と戦慄」を発表しています。
1974年9月26日、アルバム「レッド」の発売を翌日に控えたこの日、キング・クリムゾンの解散が発表されました。公式声明は「クリムゾンは死んだ」ジョン・ウェットンはロキシー・ミュージックのツアーに同行することになっていましたが、イアン・マクドナルドとビル・ブルフォードにとっては失職。ロバート・フリップは解散の3つの理由を色々な角度から説明していますが、その中で、ジョン・ウェットン、ビル・ブルフォードと一緒にいた理由は、この2人に勝るミュージシャンを見つけられなかった為、と語っています。
ブライアン・イーノの存在、「太陽と戦慄」発売前の1972年8月にロバート・フリップは元ソフト・マシーンのロバート・ワイアットのグループ、マッチング・モールの2ndアルバムをプロデュースしています。ロバート・ワイアットとはキース・ティペットつながりでの交流から始まっていると思われますが、マッチング・モール2ndのレコーディングにゲスト参加していたのがブライアン・イーノでした。そして2人は同年9月にはアルバム録音に入り、「フリップ&イーノ」のアルバム「No Pussyfooting」A面はすぐに出来上がりました。しかしクリムゾンにフリップを集中させようとしたEGレーベルのおかげで、アルバムB面が録音されるまで約1年待たなければならず、「No Pussyfooting」が発表されたのが1973年11月、「太陽と戦慄」と「暗黒の世界」のちょうど中間時期、ヨーロッパ・ツアーの最中でした。クリムゾン74年のラスト・ツアーから録音されたライブ・アルバム「USA」では、冒頭に「No Pussyfooting」のテープが流れています。
70年代クリムゾンの解散、それはロバート・フリップが「フリップ&イーノ」へ集中するためのものでした。
「フリップがバンドを解散すると言った時、そんなに驚きとかショックとかいったものはなかった。・・・(中略)・・・もしも私がフリップに「お願いだから考え直して、もっと続けておくれよ」と頼んだら、たぶん彼はもう少しの間続けたと思う。好意としてだが・・・。つまり彼はそういう人間だからね。しかしそんなことは全く意味がない。グループはただ単純にツアーの後で自然消滅したに過ぎないんだ。」(ジョン・ウェットン談)
「もしもキング・クリムゾンと仕事をするなら、その人はまず物事をどのように処して生きるかを自問することから始めなくてはならない。あのグループは私には一度だって安定したものとは思えなかった。・・・(中略)・・・大変興味深い会話、議論、怒りがあった。我々は驚くべき光景の中にいたのだ。・・・(中略)・・・私は事実上キング・クリムゾンと手を切ってしまったわけではない。」(ビル・ブルフォード談)