Lucio Battisti(ルーチョ・バッティスティ)イタリア (2 of 2) | pulsar21

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<<2期>>

フォルムラ・トレ イル・ヴォーロ のメンバーが、バッティスティのアルバムに多数参加していた時期です。この時期が気になってバッティスティを聴くようになりました。特にアルバム「自由への歌」では、 フォルムラ・トレ の全メンバー
   Alberto Radius(アルベルト・ラディウス) : ギター
   Gabriele Lorenzi(ガブリエーレ・ロレンツィ) : キーボード
   Tony Cicco(トニー・チコ) : ドラムス
後の イル・ヴォーロ のメンバー6人の内、ベースのロベルト・カレロ (Roberto Callero)以外の5人
   Alberto Radius
   Gabriele Lorenzi
   Gianni Dall'Aglio(ジャンニ・ダラリオ) : ギター
   Mario Lavezzi(マリオ・ラヴェッツィ) : キーボード
   Vince Tempera(ヴィンチェ・テンペラ) : ドラムス
が参加しています。バッティスティの会社「ヌメロ・ウノ」のメンバーだから、頼まれれば協力しないわけにはいかないだろうけど。それともバッティスティの親心か。

1973年1月27日にイタリア・ヒット・チャートで1位となり、翌週は2位に甘んじましたが、2月10日~4月7日まで9週連続1位となったシングルが、 自由への歌(IL Mio Canto Libero) (英題:A Song to feel Alive)です。しかし年間チャートでは Elton JohnのCrocodile Rock が1位となり、この曲は3位となっています。この曲が入った同名アルバムは自身のレーベル ヌメロ・ウノ から1972年に発売されていますが、同年同レーベルから PFM がメジャー・デビューするきっかけとなった名作2ndアルバム「友よ(Per Un Amico)」が発売されています。

1974年に発売されたアルバム「二大世界」は、当時のイタリア・プログレの流行に乗ったバッティスティらしくないプログレ・アルバムなのですが出来は素晴らしいもので、バッティスティの広い音楽性には本当に驚かされます。1973年に発売された前作「我が美しき天使」からこの試みは続いていて、エンディングの「Il nostro caro angelo」時折現れるのはメロトロン?クレジットを見る限り、ギターはラディウスではなくバッティスティだけで弾いているみたいです。


http://www.youtube.com/watch?v=7VKty57tQeM バッティスティの写真 スライドショー形式です。

この時期5枚でバッティスティらしい最高傑作アルバムが「人間への夢」です。1曲目の 三月の庭(I Giardini di Marzo) からエンディングまで素晴らしい曲がずらっと並び(唯一8曲目の「Il Fuoco」だけは、何をしてるのかわからない・・・。)、自身のレーベル「ヌメロ・ウノ」を立ち上げて最初のアルバムだから、きっと力が入ったのでしょう。7曲目には フォルムラ・トレ の最高傑作3rdアルバムの原曲 夢のまた夢(Sognando e Risognando) が入っています。3曲目の「そして君を想う(E Penso a Te)」素晴らしいバラードです。 (ミーナさんがカバーした「E Penso a Te」は・・・1回聴けばいいかな、って感じです。)


http://www.youtube.com/watch?v=Jh1KYDQrhRw イメージ写真スライドショー


<<3期>>

2期のラスト・アルバム「La batteria, il contrabbasso, eccetera」では、1曲だけ フォルムラ・トレ イル・ヴォーロ のメンバーが演奏していました。このアルバムはジャケットでも一生懸命移動しているように過渡期的な作品で、自分はあまり面白くないアルバムでもあります。そして舞台をアメリカ・ロサンジェルスに移し、これ以降バック・ミュージシャンに フォルムラ・トレ イル・ヴォーロ のメンバーを使う事はなくなりました。録音場所をUSAに変えただけで音がここまで変われるのかという程、イタリア臭さが少なくなりアメリカのサウンドとなっています。1977年年間1位となったシングル Amarsi Un Po (アルバム・ヴァージョン) のB面「Si Viaggiare」(アルバムでは5曲目)です。


とても聴き易くなりました。これが良いのか悪いのか、結果としてシングル年間1位だけでなくアルバムも年間2位。イタリアでトップの座を守ってきたシンガー・ソング・ライターですから、アルバムの品質が悪いわけありません。自分も好きな3枚のうちの1枚が「Io tu noi tutti」です。次のアルバム「Images」は英語バージョンでの焼き直しがメインで、自分は聴いていないのですが、その後英語バージョンが発売されていないところを見ると歓迎されなかったアルバムだと思われます。


<<4期>>

アルバム「女ともだち」で、バッティスティは頂点を極めました。このアルバム以降最終アルバムまで全てのアルバムがイギリス録音、前2枚のロサンジェルス録音の経験とバッティスティが持つメロディ・ラインが合体した素晴らしいアルバムです。1曲目「心のままに(Prendila Cosi)」は様々なアーチストにカバーされたみたいで、アルト・サックスの響きもたまりません。


http://www.youtube.com/watch?v=bZsDH3gtoGM 画面は動きません。

次作「Una giornata uggiosa」も「女ともだち」の路線を引き継いだアルバムでしたが、このアルバムを最後にデビュー当時からの詩人モゴールとのコンビを解消して、次作からサウンドが大きく変化する事になります。70年代最後のアルバム、バッティスティが下した大きな決断でした。


<<5期>>

コンピュータ制御による打ち込み系のエレクトロ・ポップに変化していくことになります。「E gia」「Don Giovanni」までは叙情性の影がありましたが、それ以降のアルバムはダンスミュージックで単調なリズムの繰り返しと言われていますから、音を聴いた事はありません。時は1980年、バッティスティの目はこういう音楽が大事だと思ったのでしょうか、それとも音楽に対する集中力がなくなったのでしょうか。「E gia」のジャケットはかろうじて写真でしたが、イラストの一部のような足元だけ。「Don Giovanni」から最終作までは写真なしのとてもシンプルなイラストになりました。(「Don Giovanni」は鼻毛じゃない・・・と思うのですが・・・。)「E gia」と「Don Giovanni」の発売間隔は4年開きました。ファンは待望していたのでしょうか、アルバム「Don Giovanni」は年間3位と高評価を得ています。5曲目の「Equivoci amici」です。


http://www.youtube.com/watch?v=bY_MIXsGcpM 画面は動きません。


自分が好きな3枚のアルバムは、
   1972年発表「Umanamente uomo: il sogno」 人間への夢
   1977年発表「Io tu noi tutti」
   1978年発表「Una donna per amico」 女ともだち
です。

1970年代のアルバムはどれも素晴らしいと思いますが、この3枚は特に名盤だと思います。1994年に最後のアルバムを発売し音信不在になったときは、儲かりすぎてのんびり過ごしているなどの噂が立ったみたいですが、結果的には1998年病死、最期まで音楽に対する情熱を持ち続けていた人でした。

イタリア・ヒット・パレードの記事で出てきた美人歌手のミーナさんにもバッティスティは曲を提供し、1975年には Minacantalucio というバッティスティの曲だけで作ったアルバムも発売しました。

プログレにもカンタウトーレにも人脈が広く、自身のレーベルを持ち、長い間ヒットパレード1位の常連であった、ルーチョ・バッティスティ、イタリア音楽史に残る「イタリアのドン」でした。