Eric Carmen (エリック・カルメン) アメリカ | pulsar21

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 1975年 1st 「サンライズ」 1977年 2nd 「雄々しき翼」

英語の授業で習ったアメリカ童謡 「 Row Row Row Your Boat 」、このメロディをイントロに使ったのが、2ndアルバムタイトル曲の 「雄々しき翼(Boats Against The Current)」 です。プロデューサGus Dudgeonの関係から、この曲は エルトン・ジョン(Elton John) と競演しアルバムに収録する予定だったのですが、Gus Dudgeonが途中でプロデューサを降り最終的にエリックのセルフ・プロデュースとなった事から、この話はご破算になりました。

1stアルバムからのシングルで米ビルボード最高2位まで駆け上がった「 All By Myself 」と同タイプのドラマティックなバラード「雄々しき翼」。エリックの前進バンドである ラズベリーズ(Raspberries) の成功を影で支えてくれた旧友でもありプロデューサのJimmy Ienner '''と決別し、新たに羽ばたいていこうとするエリックの決意を表した曲でもありました。「All By Myself」より暗く心が震えるような曲調で、所属していたArista Recordの当時トップだったClive Davisともめた事も原因とされる売上の不振はあったけれど、エリックを代表する素晴らしい曲でした。


http://www.youtube.com/watch?v=R1OWrKQWNFY 動画ではありません。

同年にOlivia Newton-Johnも「雄々しき翼」をカバーし、エリックのようなかすれた声とは対照的に透き通る声で歌い上げました。オリビアのバージョンも良かったです。
Olivia Newton-John 「雄々しき翼」

アリスタのClive Daviとこの曲についてもめたおかげで、2ndアルバムからの1stシングルとなった 「愛をくれたあの娘(She Did It)」 AOR的なミディアム・テンポのPOPナンバーで、ランキングも米ビルボード最高23位と健闘しました。エリック・カルメンの中で自分が最も気に入っているナンバーです。中学生の時ベスト10で流れてきた時の感動はいまだに続いています。


http://www.youtube.com/watch?v=TBvwDBZGr0I 動画ではありません。

エリック・カルメンの2ndアルバム「雄々しき翼」は、アメリカ・ビルボードのTOP100に3週間しか入る事が出来ず、3rdアルバム「チェンジ・オブ・ハート(Change of Heart)」ではヒットチャート受けするようなアルバムに方向転換せざるを得なかったようです。

2歳の頃から15歳まで音楽のレッスンを受け、クラシック音楽がしっかりと根付いていたエリック・カルメン。1stアルバム「サンライズ」からのシングル2曲にはラフマニノフの楽曲が使われていました。1972年にラズベリーズ(Raspberries)というバンドからメジャー・デビューし、4枚のアルバムを残しました。(ラスト・アルバムのタイトルは「Starting Over」、聞いた事があるような・・・。)ビルボードのヒットチャート上位を賑わしていたバンドにも関わらず、メンバー間の衝突により分裂・解散、エリックは1975年にソロ・デビューすることになります。


立て続けに大ヒットさせ、エリックが一番輝いていた時期でした。そして前述の「雄々しき翼」、旧友のJimmy IennerからGus Dudgeonへのプロデューサ変更、イギリスに渡ってレコーディングを開始したにも関わらず、うまくいかずにアメリカへ戻ってきたエリック。Gus がエリックのバンド・メンバーを解雇しようとした事が原因と言われています。Gusはエリックを追いかけてアメリカへ渡り、再度レコーディングを開始するものの、エリックが入れたがったサックス・プレイヤーを巡り、Gusはついにイギリスへ帰ってしまい、結局2ndアルバムはエリックのセルフ・プロデュースということになりました。

そして今度は所属していたArista Recordのトップ、Clive Davisとの確執。1stシングルにする予定だった「雄々しき翼」、コーラスを入れる入れない、コーラスは男か女かもめたことにより「雄々しき翼」は2ndシングルとなってしまい、ラジオ局はコーラスなしの「雄々しき翼」を受け取って混乱した事により、オンエア率が下がってしまったと言われています。そして制作に35万ドルが投入されたと言われている2ndアルバム「雄々しき翼」の失敗、エリックは自信をなくし3rdアルバムでの方向転換は仕方なしの状況であったみたいです。

1977年にデビューした ショーン・キャシディ(Shaun Cassidy) が大ヒットさせた
「すてきなロックン・ロール(That's Rock'n Roll)」
「ヘイ・ディニー(Hey Deanie)」
1984年に大ヒットした、 Mike Reno & Ann Wilson
「Almost Paradaise」
もエリックが書いた作品、
1997年に「All By Myself」も Celine Dion がカバーして大ヒットさせました。

エリックの音楽人生は華々しいものではなかったかもしれませんが、20世紀が生んだ素晴らしいメロディ・メイカーとして後世に伝えられていくことと思います。