
1975年 IL VOLO 2nd 「Essere O NON Essere ?」
Formula 3の4枚目が発売されたのが1973年。PFM のマンティコア・デビュー・アルバム「 Photos of Ghosts 」が出たのが 1973年 。
I Quelli(クエッリ)時代の同僚であり 年齢的には年下の後輩 であるPFMの世界的成功を見て、アルベルト・ラディウスは「 よし、俺も! 」と思ったかもしれない。そして PFMはイタリアでは同じレーベル「ヌメロ・ウロ」 (バッティスティが作った)の仲間。実際にIL VOLOは世界進出を狙ったスーパーグループだった。
2枚のアルバムを残して解散してしまったIL VOLO。
イタリアン・ロック最高の1枚を挙げてくれ、と言われたら、迷う事なく「IL VOLO Ⅱ」
今でもそう思っている。素晴らしい一枚。
イタリアン・ロック最高の1枚を挙げてくれ、と言われたら、迷う事なく「IL VOLO Ⅱ」
今でもそう思っている。素晴らしい一枚。
「IL VOLO Ⅱ」を発売した1975年は、キーマンであったマウロ・パガーニが脱退し同僚のPFMは下降線をたどる。PFMを発掘し、自身のレーベルマンティコアからデビューさせたイギリスのEL&Pも、長期休暇中。イタリア経済もオイルショックで失速中。
IL VOLOでの世界進出が叶わなかったアルベルト・ラディウス。ただ、IL VOLOだけに専念していたわけではなく、「おびただしい数」のセッション活動を並行して行っていたらしい。そしてIL VOLO解散。バッティスティと同じ、カンタウトーレの道を歩むことになります。
Formula 3時代に1枚ソロアルバムを発売しているので、2ndアルバムからということになります。3rdアルバム「Carta Straccia」6曲目「Nel Ghetto」。 2枚目のシングルです。(ソロとしてのシングルは全部で2枚しか出していないみたいだけど・・・。Formula 3は4枚のアルバムに対して8枚のシングルを発売していました。)
これはシングル用に作られたような曲で、 イタリアのボブ・ディラン と呼ばれる悲壮感の漂うもの憂いボーカルが、アルベルト・ラディウスの持ち味。2ndアルバムから Il respiro di Laura
2ndアルバム「Che cosa sei」はキング・レコード「ヨーロピアン・ロック・コレクション」がパートⅩで終了した後、「ヨーロピアン・ロック・コレクション(カンタウトーレ編)」として発売されました。購入してみましたが、当時はまだ若かったせいか聴き切れなかった。DISK U○○○Nの中古売買へ。もったいない事をしました。
その後のアルベルト・ラディウスはカンタウトーレとして人気を得、プロデューサとしても活躍、セッションもひっぱりだこで、8枚目のソロ・アルバムを発売した後、1990年にFormula 3を再結成しました。Formula 3年1枚のペースで4枚のアルバムを発売後、再度活動停止。
そして訪れた、1998年、ルーチョ・バッティスティの死。アルベルト・ラディウスもPFMのメンバーも、当然参列したんだろうな。