トキは朱鷺と書くように、赤っぽい羽根をしているイメージがある。
これはフラミンゴと同じように、えさとなる甲殻類の色素が蓄積されてそのような色になるのだそうだ。
トキの羽が鮮やかな朱鷺をしているのは羽が生え代わった秋のころで、赤い色素は紫外線に分解され抜けていく。
そして、冬の繁殖期になると黒い皮膚の細胞が剥がれ落ちて、それをトキがくちばしで羽にこすりつけ黒っぽい羽根になる。これは外敵から身を守るための保護色になっているからだと言われている。
佐渡にやってきた。
新潟港からフェリーで2時間の道のりだ。出航するときには放送で銅鑼(ドラ)の音を流す。往年の青函連絡船のようでなつかしい。
すぐに食堂に行き、「ブラックラーメン」を注文する。おすすめと書かれていたので、岩のりの載った追い飯も付ける。魔的なメニューだ。
出航して20分ほどは信濃川を河口まで進む。雨の後なので、川の濁った水と防波堤の向こうの海の色が対照的だ。
升席で横になっているうち、佐渡の島影が見えてくる。金北山(きんぽくさん)などの山並みで、まだ雪をかぶっていて美しい。
両津港に着き、宿の近くにある居酒屋に行ってみた。
カウンターには漁船の大漁旗と、「善寶寺龍王講」と書かれた旗が掲げられている。どこかで聞いたことがあるお寺の名前だと思ったが、山形県の鶴岡にあるお寺で、航海安全にご利益があると言われている。毎年お参りに行くのだそうだ。
このあと佐渡を回って見て感じることになるが、佐渡は離島とはいえ、海を通じて様々な地方とのつながりがある。
大阪から来たという話をきっかけに、カウンターに座っていたお客さんと話す。地元の漁師さんだそうだ。どんな魚が獲れるのかと聞いてみる。タラ、ノドグロ、「エチオピア」と呼ばれるシマガツオ、ズワイガニなどを獲っているのだそうだ。やはり最近の温暖化かこれまで獲れなかった魚が獲れるようになったり、獲れる季節が早くなるものがあるそうだ。
我々は甘えびのなめろうや、「ゴジラエビ」の塩焼きを注文した。
なめろうはエビを20匹もつかったぜいたくな一品で、ゴジラエビとは背中のとげからそのように呼ばれるイバラモエビのことで、焼くと甘みが増しておいしい。
座敷席にいた客さんは「カキはいつも食べているから」と言ってチーズ揚げを注文している。カキの養殖を営んでいるらしい。「今年のカキはおいしいよ」と言う。店を出る前にその話を聞いたので食べ損ねてしまったが、次の機会にはぜ佐渡のカキを食べてみたい。
翌日は島の南西にある宿根木(しゅくねぎ)に向かった。
佐渡は大きな島で、海岸を一周すると200キロもある。宿根木までも路線バスを乗り継いで約2時間の道のりだ。
佐渡の家々は、屋根の破風板が優雅な曲線を描いている家が多い。また、黒い瓦は能登の瓦だそうだ。佐渡は古くから能登との行き来も多い。そういえば乗り継ぎで降りた真野という町の街並みは輪島の旧駅通りの雰囲気となんとなく似ている。
宿根木は入り江と、海岸段丘に挟まれた広さ1ヘクタールほどの小さな集落だが、北前船の寄港地として栄え、かつては佐渡の富の3分の1をも集める町だったのだそうだ。今でも古い町並みが残っている。
宿根木の建物は船大工が手掛け、狭い土地であることから二階建てになっている。
中でも異彩を放っているのは「三角家」で、路地と小さな川に挟まれた3角形の土地に合わせて建てられた民家だ。
入場券がこの家のペーパークラフトになっていて、この家を上から見た絵が描かれている。三角家の2辺の板壁は柱のところで鈍角の折りがあり舟形のようになっているのがわかる。
宿根木では弘化3年(1846)に水害があり、三角屋はそのあと建てられたと考えている。
この家には、アサさんという女性が住んでいた。2008年、アサさんは高齢となり息子さんの家に引っ越し、この家を町に寄付したのだそうだ。家の中にはアサさんが和裁に使っていた道具や、ご主人が亡くなった後生計を立てるために続けていた新聞配達をする写真などが展示されている。
後編に続く