教会にきている中学生や高校生をまとめて欲しいと言ってきたのは、20代後半のY先輩であった。

 

Y先輩は、地元の建設会社の御曹司で、まさに質実剛健、若者の人望を一手に集めていた。

 

私が生徒会をやっているということで,白羽の矢を立ててきたのである。

 

高校2年というのは、いちおう年長になるし、教会というところに慣れるにはちょうどよかろうと思い引き受けた。

 

しかし,それはそんなに甘くはなかったのである。

 

その教会には附属の幼稚園があり,正面には公立の小学校がある。

そして,同じ通りの少し離れたところに公立の中学校がある。

教会に通う中高生は,ほとんどが幼稚園から中学校までのコースが同じ,同窓組だったのである。

 

そこに,どこの馬の骨ともわからない人間がやってきて,いきなり「会長でござい」と鎮座した。

連中にとって面白いわけがない。

 

当時は,ゲーム機もなければ,パソコンもない。

遊ぶといったら,仲間とたむろす程度のことしかない。

 

映画にいくにも,喫茶店にいくにも金がかかる。

自然と教会に集まって,だらだら過ごすという輩がいたのである。

 

そうした彼らをまとめるのは至難だった。ただの集団に集まる目的をつくるのだ。

しかし,私は無理をしなかった。

教会に毎週通って,とにかく彼らと話をした。

まずは仲間になることから始めなければならなかったのである。

 

具体的なノウハウはなかったが,手探りで日々を過ごしているうちに,

夏にはキャンプをし,秋にはバザーの手伝いをし,クリスマスには木に登って電球をつけ,

すこしずつ,教会のメンバーとして,中高生が活動するようになっていった。

 

グループをまとめるというか,自分がなんとなく「まとまった」という感じだった。

 

しかし,大学受験という人生の一大イベントを控えた私は,高3になると同時に会長を退くことになる。

 

普通に高校生活を送っていただけでは味わえない貴重な経験である。

私の人格は,教会活動によって,少なからず陶冶されたのであった。