(教会へ①から続く)

その教会に,先日の日曜日に行ってきた。

 

まもなく父が亡くなって1年になる。

仏教では「一周忌」という法事があるが、それは沼津の寺で行うことになっている。

 

教会では「逝去者記念日」といって、毎年お祈りの中で名前を呼んでもらえるので、

それなりの金子(きんす)をもって礼拝に参列するのが通例である。

それが先日の日曜日であった。

 

ところがその日は職場の集まりもあったため、礼拝には参列できず、

駅までの通り道にある教会に、お金だけ納めに行くことにした。

 

礼拝の始まる20分ほど前に教会に着くと,お世話になった先輩方が次々に受付にやってくる。

もれなく後期高齢者となって,足元がおぼつかなくなっているが,

「〇〇くん?」

「いや~,久しぶり!」と声をかけてくれる。

 

私と同年代の,もと青年たちは,まだ仕事から解放されていないのであろう。だれもきていない。

毎週教会に通うようになるには,まだ数年の時間が必要のようだ。

 

その後も,続々と先輩方が登場するものだから,なかなか外に出られない。

その流れに逆らって,

「来月は母の逝去記念ですから,また来ます~!」

と叫びつつ,教会をあとにした。

 

若いころ,右も左もわからなかった自分を導いてくれたのが,この教会であった。

 

教会というと,天国のような場所を想像するかもしれない。

しかし、実際はそうでもないことを,さまざまな活動を通して知ることになるのだが,

少なくとも,自分の人格形成に少なからぬ影響を与えたであろうことは間違いがない。

 

学校生活だけでは手に入らない,世代の違う方々との交流が,

一人っ子の私をある意味傷つけながらも、粛々と鍛えあげていったのであった。


さて、高校2年生の春、めでたく堅信を受けた私だが、その日のうちに与えられた最初の使命は、教会の中高生会の会長という役であった。