私が無事にF高校に受かったため、T先生が学校を辞めることはなくなった。
私は自分が合格したことより、ともかくそのことに胸を撫で下ろした。
しかし、その3年後、T先生は本当に学校を去ることになったのである。
また中1から持ち直したT先生は、3年後、またしても同じことをやったのである。
そして今度はうまくいかなかった。
責任を取って教職の道を断った先生は、まだ30代の若さ。
これからいったいどうやって生きていくのか…。
…などという心配はまったくの杞憂であった。
T先生のご実家は,幼稚園を経営していたが,
T先生は,ちゃっかりその幼稚園の園長先生に収まり、
その後、その地盤を活かして、市議会議員に立候補。
見事に一発で当選を決めると、それからは政治の世界に身を投じられた。
そういうことだったのである!
T先生は実は学校を辞めたかったのである!
ただ、その口実が欲しかった。
ということは………。
私は受からなくてもよかった?
私の合格の知らせを受けた先生は、
「なんだ、受かっちまったか。これで計画は3年延期だな…」
なとど宣った…というわけではないが、あってもおかしくない話である。
ま、ともかく私の闘争心に火をつけてくれたことは事実であり、
教育者として十分な働きをしてくれたことには感謝しかない。
道徳の授業になると、
「今日は道徳的サッカーをやろう!」
「今日は道徳的バレーボールだ!」
つまらない教科書は各自で読めばいい,というのがT先生の考えであった。
国語の授業では論理学を学び,議事の進め方なども徹底的に教えこまされた。
生徒総会で「牛歩戦術」というものを使うことを教えてくれたのも,T先生であった。
日曜日は飲み過ぎて,月曜日は必ず二日酔いで,ときどき遅刻もする。
破天荒で飾りっ気がなく,いつも自分自身をさらけ出してくれたT先生。
私の塾人生に少なからず影響を与えたであろうことは,間違いがない。