N先生の思い出にも記したが,昭和55年くらいまで,学校では体罰が当たり前であった。
特に規律が重んじられ,礼儀作法については厳しく指導されたものである。
国立の中学校では,公立とはいえども月納の授業料があった。
生徒は会計用に設置された特別室の前に整然と並び,一人ひとりお金を収める。
「〇年〇組〇番 ○○です!」と直立不動で大声で名乗り,封筒を差し出す。
「よしっ!」と言われて印鑑をもらうと,うやうやしく封筒を受け取り,
「失礼しますっ!」と部屋を出る。
ちょっとでも姿勢が乱れたり,声が小さいとやり直しである。さながら軍隊である。
先生たちは,いつもなにがしかの武器をお持ちになっていた。
国語の先生は「竹刀」を携え,数学の先生は「木のバット」を振るっていた。
計算ミスをすると,前に出され,容赦なくケツバットを喰らわされる。
私たちは「計算ミスをすると痛いのだ」という感覚を植え付けられたのである。
それは教育ではなく「調教」であった。
しかし,女子に対しては,扱いが別であった。
それは,「ケツバント」であった。
バットをお尻にあてて,ちょこっと押すのである。今ではセクハラである。
当然男子は不満である。ちょっとでもブーイングをすると,
「文句があるのかぁ!」とくるので,「何でもありませーん!」と叫び返す。
先生は相撲部の顧問でもあったので,誰も逆らえなかったという一面もある。
しかし,その先生の数学の指導は大変わかりやすく,面白く,人気のある先生であった。
私は,この先生の影響で,一時期中学校の数学教師を目指したくらいである。
さらに恐ろしかったのは,社会の先生である。
地理,歴史,公民と3人の先生は,全員が物干しに使う「竹竿」を持っていらした。
生徒は質問されると必ず手を上げねばならない。……①
手を上げないと,竹竿が空気を切り裂く音を立てて身体に命中する。
わからないのに手を上げるのだから,指されてもわからない。
「わかりません!」とこたえると,
「ばかもーん!」と竹竿がとんでくる。
これが遠心力が加わって,かなり痛い。
答えられなかったものは座ることができず,生徒は立っていなけばならない。
(イエローカード)
今度は立ちながら手を上げる。
指される⇒こたえられない⇒たたかれる。
この段階で,退場処分(レッドカード)になる。
運動場に出て,トラックをうさぎ跳びで3周して教室に戻る。
授業は進んでいて,さらにわからなくなる。
そして①に戻る。
社会の授業はなぜか2コマ連続であり,社会が苦手の私にとっては地獄の時間であった。
しかし,おかげで足腰だけは,かなり鍛えられたのであった。
高校に入って,仲間と二人で中学校を訪ねたことがあった。
社会科の特に怖かったのがM先生である。
「会わないといいな」と話しながら,恐る恐る校門をくぐる。
よくない予感は当たるもので,教職員用の入り口にいきなりM先生がいらした。
仁王立ちになったM先生は,私たちを手招きする。
(やばい!叱られる!)
先生に近づきながら,思わず心の中で謝ってしまう。
すると,M先生は意外な行動に出られた。
私たちに深々と最敬礼すると,満面の笑みで
「お久しぶりですね!お元気でしたか?よくいらっしゃいましたね!」
とおっしゃったのである。
腰が抜けそうになったが,同時に私たちは理解した。
この先生の本質はこれなのだ。
私たちが生徒である間は厳しく指導し,卒業して旅立った者に対しては,
対等の人間として尊重してくださる。
涙が出るほど感動した私たちは(半分は恐怖から出たのであるが…)
この先生から学べたことを心から感謝したのであった。
悲しいことに、現在は生徒の身体に触れることさえできない時代になった。
入試に送り出すときも,声しかかえられない。
「がんばれよ!」と肩をぽんっと叩くこともできない。
合格したあとのハグなど,もってのほかである。
これで正しい人間関係がつくれるのだろうか。
未来の殺伐とした社会を危惧しつつ,今日も教室(戦場)に向かうのであった。