開放骨折の治療は、まず骨を金属で固定して傷口をふさぎ、

骨がもとどおりにつながると、別の場所を切開して、金属を取り出す。

したがって、入院が半年に及ぶのである。

 

母は父のシモの世話のために病院につきっきりになる。

私の世話は、父の母である沼津の祖母がやってくれることになった。

 

ちょうど学校の勉強が嫌になっていた頃である。

祖母は,勉強のことについては一切口を挟まない。

 

幸せである爆  笑! 自由なのである爆  笑

 

私はまったく勉強をしなくなり、家に帰ると自室でレコードを聴いたり、

窓枠に並べた将棋のコマを輪ゴムで打ったりしてだらけまくった。

 

回復した父が帰宅し、リハビリに通う頃には、

完全体のおバカさんができあがってしまったのであった。

1学期の期末試験は,下から数えたほうが爆速で早かった。

 

こんな目に合わせたのは、父を跳ねた車の運転手である。

(ほんとうは自分の怠惰が原因なのだ)

 

ところが、この運転手は捕まらなかったのである。

 

いわゆる「ひき逃げ」である。

 

現場には、車のヘッドライトの破片と、バンパーの一部が残っていたらしいのだが、

はっきりした証拠があるにもかかわらず、警察からは何の連絡もなかった。

 

酔っぱらいの事故である。

警察も真剣に捜査しなかったのかもしれない。そんな時代であった。