チューリップ事件から,Sくんとの日々を綴ってきたが,時系列を元に戻し,

担任のN先生について記しておこうと思う。

 

N先生とは,小学校2,5,6年と,小学校生活の半分を導いていただいた。

 

以前にも書いたが,とても厳格な方で,曲がったことを決して許さず,

私たち(主に男子)が粗相をすると,横並びに整列させて,

一人一人に一発ずつ,拳骨をくださったものである。

 

今ではたちまち「体罰」とされて,父母会での説明と謝罪,そして懲戒処分,

下手をすると傷害罪を適用されて警察沙汰にまで発展する。

 

しかし,私たちは全幅の信頼と畏怖の念をN先生に抱いていたので,

拳骨の痛みの中に,先生の優しささえ感じることができたのであった。

 

私も若いころ,自分の塾の生徒を並べて拳骨を喰らわせたことがあるが,

あれは,する方もさせる方も痛いのである(>_<)。

生徒の方は一人一回だが,こちらは生徒の人数分痛いのだ。

 

N先生も自分の身体を痛めつけながら,我々を懲らしめてくださったことを思うと頭が下がる。

 

今は、体罰に教育的効果はまったくなく,いじめの原因にさえなるといって,

いかなる身体的苦痛も生徒に与えてはならないという論が主流である。

しかし、いじめはいっこうに無くなってはいない。

 

先生に対する信頼と、生徒に対する愛があれば、体罰は体罰でなくなるのだが…。

この大切なことを、教員養成の課程で学ぶ機会がないのである。

 

N先生は厳しくも愛に満ちあふれた方であった。

この写真は,おそらく小2の頃の遠足。子どもたちが一人残らず満面の笑みである。