私たちは小6になった。

昭和45年。西暦1970年。大阪で万国博覧会が開かれ、人類が初めて月面に降りた年である。

 

相変わらず,私たちのサッカーボールを蹴る毎日は続いていたが,

3駅ほど離れたところに住んでいたので,日曜日に遊ぶことはなかった。

 

しかも私は、小5のはじめから,日曜日は◯谷◯塚の下請けのテスト会に通っていた。

毎週,四教科,自由自在や応用自在の指定部分がテスト範囲として与えられ,

一週間自分で勉強してからテストに臨む。

 

2~3000人の規模のテストで,上位100名に入ると,成績優秀者一覧に名前が載る。

さらに,上位10名に入ると優待券で次回のテスト代が半額に,

上位3名は招待券として次回は無料でテストが受けられるといったシステムだった。

 

私の名前はたいがい優秀者に載っていたのだが,

それについて親から褒められた記憶がない。

そんなことは当たり前のことで,さらに上を目指せと言われ,順位が下がると,ひどく叱られた。

私はこのテストが嫌いであった。

 

附属小から附属中に上がる試験は,一般と同じ内容なのだが,120人中,落ちる生徒は3人程度。

ほぼ合格確実な入試であっても,外部生に後れをとるまいということで,

親に通わされていたのである。


6月ころ、そのテスト会にSくんが入りたいと言ってきたのである。

「S…みんな長いことやってるんだよ。小6の今からじゃ間に合わないよ(^^;;」

と言ったのだが、どうしても行きたいから連れて行けという。


私は学校のテストでSくんよりいい点数をとったことがなかった。

でも、さすがに受験用の勉強では、一年やっている私に分があると思ったのである。