新校舎は当時としては珍しく、全館エアコン完備であった。
自宅から徒歩でも行ける位置になったが、私はまだバス通学を続けていた。
大学の附属小学校は教育学部に属しているので、教育実習生が絶え間なく押し寄せてくる。
だいたい100人程度の実習生が年間に3回ほどやってきて、
1ヶ月にわたって普段の授業に絡んでくるので、
カリキュラムが狂うことはよくあること。
そうした乱れにも動じない学力をもつ生徒を集める意味もあって、入学試験があったのだろう。
実際に優秀な生徒が多く、親の職業も学者、医師、弁護士など錚々たるもので、
我が家のように「会社員」というのは稀有な存在だったのである。
先生も優秀な方ばかりで、県内の学校の先生たちを集めて研究授業も頻繁に行われていた。
私たち生徒は見せ物、いわばモルモットである。
バスケットのスタジアムのような構造の客席があり、
教室の壁の3面がマジックミラーになっている、
そんなウソのような教室もあったのである。
小学校二年生の担任は、まだ青年のような面持ちの、N先生であった。
N先生はのちに千葉県の教育委員となり、大学でも教鞭をとり、
全国の教員を指導する講演を開く方になられる。
この先生に三年間お世話になるのだが、いずれ思い出をまとめたい。