結果から先に言ってしまうと、
正直に申告した地元の大学には合格できなかった。
色覚異常のせいではなく、英語の出来が悪すぎて受からなかったのだ…と思っている。
私は中学校の数学の教師を目指していたので、
まったく意識していなかったのだが、
小学校の教師の免許も併せて取れるため、
色覚異常者には入学を遠慮してもらうという意向であったのだろう。
色がわからない先生というのも困りものだろうが、
現在ではそうした差別はなくなっているようである。
実は、関東地方にある国立大学の教育学部で、唯一色覚異常の制限がない学校が一つあった。
しかし、最後の模試での合格可能性は10%…。
模試の評定ではまるっきり「志望校変更の余地有り」である。
しかし、受験料も安かったので、まぁ冗談半分で願書を出していたのである。
当時、二期校と呼ばれていたその大学に通うには、
県境を2ヶ所越えねばならなかったが、
なんとどういうわけか合格してしまったのである。
昭和52年3月末のことであった。
捨てる神あれば拾う神あり…である。