慣れない北国での生活は楽しくもあったが、

一家全員が喘息になるという悲惨な状況を呈し、

本格的な冬になる前に、我が家は千葉へ転居となった。


父が転職を決めたのである。

工場勤務のエンジニアが、同じ業界とはいえ、営業職に就いたのであった。


もともと酒癖の悪さで左遷されだのだが、

酒が飲めるということが、

当時の営業には欠かせない資質であった。


ここから父の酒浸りの生活が始まり、

やがて大きな事故にあってしまうのだが、

それは後日に回そう。 


転居が決まったので、私は保育園を卒園できず、

いきなり中退という履歴がついたのであった。


千葉に移ると私の小学校選びが始まる。

母は幼稚園の先生だったので、それなりに教育熱心であった。


いろいろと調べているうちに、

近々大学の附属小学校の入試があるという情報を仕入れたのである。


歩いてはとても無理だが、家の近くからバス一本で行けることが受験の動機になった。


それから母による私のお受験特訓が始まったのである。