不思議なことだった。
父が亡くなってからというもの,一滴の涙も出なかった私である。
むしろ清々しい気持ちで父を送る準備を進めてきた。
ところが斎場の火葬炉に入っていく父の棺を見送るとき,
どっと涙があふれてきたのである。
いったい何が起こったのだろう……。
いろいろな感情が渦巻いていたが、
とにかく切なかった。
認知症にさえならなければ,
父の好きな国内旅行に連れて行けたかもしれない。
娘の結婚式に連れて行けなかったのも、心残りだった。
父にとって,孫娘は目に入れても痛くない存在。
娘が高校の修学旅行で渡欧したとき,
やめなさいという周囲の意見をよそに,成田空港に迎えに行った父。
…もちろん娘が喜ぶわけがなかった。
自分の感情が最優先であり,思考より行動が優先する父であった。
そういうところが認知症になる要因だったのかもしれないが…。
今までの認知症の父との戦いが,走馬灯のように駆け巡り,
私の滝のような涙につながったのかもしれない。
精進落としでの喪主の挨拶では、そうしたことを話そうと思ったが、
家族しかいない席だというのに、
「今日は忙しところを集まってくれてありがとう。おじいちゃんが認知症になってから…」
と、そこまで言ったあと、嗚咽してしまい、葬儀社の方に中断してもらわざるを得なくなった。
高齢化がますます進む日本。
認知症の患者も増える一方である。
認知症は本人だけでなく,家族まで巻き込んで,すべての人を不幸にする。
戦争なんかやっている場合でなはい!
認知症の特効薬の開発に全力を!
そう叫びたかった。