マンションのエレベーターを降りながら、タクシーGOを呼ぶ。
午前2時である。
さすがに数分でタクシーに乗ることができた。
病院の名を告げる。
国道で行きますか?裏道にしますか?
どちらでも。なるべく早い方で。
おばさん運転手は察したのであろう。
国道を90キロくらいで飛ばしていく。
(ちょっ!事故らないでね!)
ありがたかったが、ちょっと怖くなってきた。
2時10分。
タクシーを降りて時間外受付に走り込む。
入院している〇〇の息子です。危篤の連絡があり参りました!
わかりました。ではこちらにご記入ください。
(ウソだろ?こんなときに面会票かよ?)
限界まで汚い字で記入して、エレベーターで8階を目指す。
2時15分。ちょうど電話から30分だ。
夜の病院でも、通路はマックスで灯がついているものだなどと思いつつ、
ナースステーションにつながるインターホンを押す。
まもなく病室につながるドアが開くが、看護師の歩みはゆっくりである。
(急がなくていいのか?)
嫌な予感がする。
父の部屋のドアが半分開いている。
促されて先に入る。
先ほどからこんな感じになっています。
モニターは虚しくアラームを鳴らしている。
しかし、心拍を示す波形も父もピクリとも動かない。
父は大きく口を開けたまま、息絶えてていた。
ごめん、間に合わなかった…。
つらかったね、でもじっちゃんはがんばったよ。
救急搬送から14日。あと数日ですと言われたのに…。
ほんとにお疲れさまでした。
声をかけるが不思議と涙が出ない。
いつ頃心臓が止まったのでしょうか。
今、医師が確認に参りますので…。
(そうか、医師が確認した時刻が死亡時刻なのだな。)
医師が脈を取り、瞳孔の反応がないことを確認。
2時33分。ご臨終です。よくがんばりましたね。
ほんとにありがとうございました。
深々と礼をして、父の最期を看取ってくださった方々に感謝した。
私は間に合わなかったのではない。
自分にできることは全部やったではないか。
認知症になった父を人に任せて、自分は実家のメンテナンスと称して、週末になると美味いものを食べていた。
それを自分で非難することもできる。
でも、父の老人ホームだってたいへん食事がよいことで有名なのである。
母には何もしてあげられなかった。
亡くなったときは、後悔と無念で、我を忘れて泣きじゃくった。
でも、今度は違う。
むしろ清々しささえ感じつつ、おそらく上空で漂っているであろう父の霊に、
いつまでもそこにいないで、安心して母のところに行きなさい。みんな待ってるよ。
と、話しかけるのだった。