土曜日は朝から仕事である。
今日も、6時半に起き、職場に向かっていた。

池袋で山手線に乗り換えようとしていると、電話が鳴った。
父の老人ホームからだった。

軽い胸騒ぎを覚えたが、すぐに電話に出る。
「お父様が、どうしても息子様とお話がしたいとおっしゃっているのですが」
とのこと。

「わかりました。かわってください」
実に、5ケ月ぶりの電話である。

「もしもし、金が全くないんだ。それに通帳もないんだよ。」
「それは僕が管理してるから、心配しなくていいんだよ。」
「お前が管理してるのか。でも現金が100円しかないんだ。」
「そこではお金は使わないだろ?」
「そんなことはない。買い物にも行きたいけれど、これじゃいけやしない」
「欲しいものがあれば、受付の人にいえばいい」
「そうすれば買ってきてくれるのか?」
「そうだよ。電車に乗るから、またね」
といって電話を切る。

5ヶ月前と全く変わらない会話であった。
「久しぶりだね。元気でやってるか?」などという会話があってもおかしくはない。
父にとっては、5ヶ月ぶりの会話ではなかった。
父の頭の中ではまだ仕事が続いており、 私と会った記憶も更新されてはいない。

その日の夜、受付にやってきた父は、 使えなくなった携帯を手に、
「こんな携帯は知らない」「さっき入ってきた女の人が持ってきたものだ」
「今朝、息子と電話で話をしたが、息子は富士にいるから持ってくるのは無理だ」

と、息巻いたらしい。

富士は父の会社があったところ。

私は、ここ23年、東京の中野に勤めている。

何かおかしいと感じていても、すべてのことに確信が持てない。
父は、常に不安の中にいる 。

それを、なんともしてあげられない。
それだからこそ、老人ホームを選んだのだが……
心は痛む。