父の仕事の話があまりにもしつこいと、ついつい声を荒立ててしまうことがあった。
退職願いの書き方がわからないというから、書式を作ってあげたのは私である。
それをもって、静岡の本社まで届けに行き、
わずかな退職金と、記念品をもらってきたのは、父本人である。
それなのに、なぜ仕事がまだ続いているというのか。
携帯電話やファックスの送受信記録にも、
何の痕跡も残っていないことを証拠に説得するのだが、
「そうか…もうやめたのか」と肩を落とした数分後には、
「そろそろ辞めなくちゃな」が始まる。
一番腹が立ったのは、金のことについてである。
「持っていったお金を返してくれ」とか、
「持って行った通帳を返してくれ」という、
私を責める言葉は、私を激昂させた。
一生懸命父のために時間をつくり、何とか平穏な老後を過ごして欲しいと願い、
ときには自腹まで払ってがんばってきた。
実家の数ヶ所には、現金2万円の入った封筒を隠してある。
いざというときに、そこから生活費が出せるようにするためである。
それなのに、泥棒扱いされるのは本当に耐え難い屈辱だった。
しかし、相手は病人である。
病人に対して、カッとなったところで関係が悪くなるだけのことである。
それはわかっている。
わかっていても、どうにもならない感情というものはあるのだった。