『明日は△△さんの誕生日です。おめでとう!と言いましょう』
SNSからは面倒な通知が来る。
人の誕生日とかは祝いたい気持ちは勿論あるし、知れることは嬉しいけど、こう頻繁に来るのでは面倒になる。
助かる場合もあるけどね。
mixiのほうは、このシステムが始まった瞬間に自分の誕生日を非公開にしました。
画面の中のケーキを飾り付け、プレートに言葉を添えるという行為にぞっとしたからです。
喜びそうだなと思える人に贈ったことはありますが、自分がやられても、嬉しいけどどうしていいかわからない。
というか理解できないのかも、その行為が。意味が。わかるけど、拒絶反応というか。
野菜育てるゲームも似たような違和感あったな。
さて、そんなmixi。
昨日また通知がきました。
彼女が亡くなったのはもう6年前?
当時の彼女の年齢を軽く飛び越えているのに、ずっと一歳上のような気がする。
死人の誕生日通知。
彼女の誕生日は毎年変わらず訪れるけど、彼女が歳を重ねることは二度とない。
SNSは、パスワードとか知らなければやめようもないですもんね。
今私が死んだとして。
このblogも、mixiもFBもTwitterのアカウントもなくならない。
相手が切らない限り、画面の片隅にずっとある。
ネット上に保管されている死人の持ち物は、全体の何割なんだろう
今日、彼女のお姉さんと電話する夢を見ました。
電話番号なんか知らないんですけど。
主役のいない誕生日、こころの中で御祝いの言葉を。
この行為にだって、違和感。
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