昨年の12月。
私は年の暮れに向かうにつれてなぜか焦っていた。
まるでなにかに急き立てられるように、備蓄をできる範囲ではあるが貯えたりしていた。息子の学校の2学期が終わった後なんて、学校で一夜をすごせる仕様の非常用ポーチを急ごしらえで作って息子のスポーツバックにいれて、彼を部活に通わせていた。特に、「津波がきたらこういう経路で歩いて逃げろ」と作った地図を見せたりという念の入れようだった。
今思えば、息子を可愛がってくれた亡き元義母や子供を見守ってくださるご先祖様たちがボンクラなわたしの尻をたたいて夢や焦りという形で必死の警告をして、準備をせかしていたのかもしれない。
それと、わたしにはどうしても「白山比咩神社」に行きたいと思う時がたびたびあり、そのあとすぐに災害にみまわれることが多かった。
昨年、それで行かなかったら、自分の住んでいる町が水害にあった。なので私が行きたいと思ったときは尋常ではないことが起きるかもしれないので、参って日々の感謝を申し上げなければいけないと誓っていた。誰に何をいわれたとしても。
しらやまさんは結婚していた時、いきつけのお店が鶴来(つるぎ)あったというご縁があったこともあり、私にとっては氏神さんの次にご縁の深い神社である。
なぜか今回はただただ行きたいという想いばかりではなく、とにかく「水の恵みへの感謝」をお伝えしなくてはという想いが強くわきあがり、それに押されて参拝したしだいだっだのだ。(参拝したときの記事はこちら)
参拝して気になったことは、参道の右半分に、除雪しきれなかった雪とご神木の葉だけではなく、すりこぎサイズの枝がところどころに落ちていたこと。
もうそのときには、あちらの世界では今回の震災自体が避けきれないものであることが分かっていたのかもしれません。
能登地方というのは地域のつながりが強く、子供たちも素直で優しい子が多いという印象です。子供たちは近所の方やお年寄りからも大事にされてきたのだろうなというのがすぐに分かります。
そして、ご先祖様や氏神様とのつながりを大事にし、仏事や神事等のまつりごとを継承し、信心の深い地域の一つでもあったばかりに、なぜこのようなことを自然はなさるのだろうと今でも考えております。
今回の震災で犠牲になられた方々がすこしでも安らかな心境になられるように、また、被災されて大変な思いをされている方々の一助になれるように、今できることを探して動いていきます。