これは以前の記事でも書いたかもしれない。

 

 

わたしの祖母が終戦後ほどなくして結婚した時には、まだ日本国内は戦前の国の人口増加政策が余韻が続いていたと言っていた。

 

 

このころに生まれた世代というのがいわゆる第一次ベビーブームの人々である。

 

 

しかし、乳幼児人口の増加の大きさに国はヤバイと思ったのだろう。母体保護法という法律を作り、人工妊娠中絶が事実上合法化された。

 

 

祖母は「急にね、中絶してもいいですよと国が言ってね。それがはやったのよ」と当時の様子を語っていた。

 

 

流行る、と表現したことに現代の常識では考えられないことが起きていたことが推測できる。

 

 

祖母がいうには近所の井戸端話で人工妊娠中絶の手術のことが語られることが度々あって、「私は手術をうけておろした」という体験談を話したり、ときには生活が厳しい奥さんが妊娠したときには中絶手術をすすめるということもあったという。また、なかには何度も手術を受ける女性も身近にいたと語っていた。

 

 

そのくらい当時は避妊具が日本国民に浸透していなかったり、手に入れられなかったりしていたのかもしれないし、当時は中卒で就職することも多々あったのだから、多子でもなんとかなるという意識もあったのだろう。

 

 

さて、今回の記事でいいたいことはこれから。

 

 

これと同じような人口政策が今現在進行中なのではないかということだ。

 

 

今度は入口ではなく出口、生誕ではなくその逆のこと。

 

 

政府はこれまでも「人生会議」というテーマを用いて終末期にかかわる事前選択の提案を「ひっそり」としてきた。

 

 

しかし、平均寿命、年金や福祉・医療費の歳出の右肩上がりという焼け石を前に「人生会議」戦略は触れればすぐに蒸気となり消える水であったことは否めない。

 

 

コロナ渦以前もインフルエンザの罹患により毎冬多数の高齢者がなくなっているにも関わらず平均寿命を延ばしてきたが、2021年からその寿命が初めて下がってきているデータが出ていた。

 

 

「いままでにないこと」を目の当たりにしているのに、エビデンスがないものだからはっきりと言えないという医師の言葉がネットでは散見される。

 

 

増殖する悪玉菌が腸内フローラの環境を壊し、宿主の健康を奪う様相は人間と地球との今の関係に似ている。

 

 

もしかして、宿主を失う前に腸内細菌たる一部の人間が仲間の腸内細菌へ疑似アポトーシス(自然死)を促進しているんじゃないかという壮大な妄想が生える今日この頃。

 

 

あえて、ここでは直接、疑似アポトーシスを促進するためのものをさし示すことはしないでおこうと思う。