私が日本人として、日本人の残念なところを挙げる。
日本人の日本人による日本人のためのお説教。
ある問題行動をとる人がいて、それが他人に迷惑をかけていたとしよう。
それに憤った人は、当事者を批判し、「やっぱり、おかしいよね~。(他者にも同意を求めるように)ね~?」といった、ある意味「批判の連帯感」にひたるような風潮がある。
実はそれが、一番、穢れた集団にも見えてしまう。
それよりも…
- これはいけないこと
- どうして当事者がそんな行動を起こしてしまったのか
- なにか同じ轍を踏まないような意見を共有できないだろうか
という思考とその共有に「自身の命を同行」させたほうが心にも体にも良いと思う。
ああ、そうだ。
この「批判の連帯感」。
日本の〇×の採点方式でそれを好むように教育されてしまったのかもしれないな。
でもきっと、あと十年たったら、それではいけないんだようなという空気感になっていると私個人は予想している。
いまは、日本が作り上げてきたものの収穫時期で、まな板の上に載ったそのいびつな姿をみて「これは食べられない。ああ、これもあれもだ。飢えてしまう。これってやばいんじゃない?」という現実を見始めたころなんだろうね。
これから、十年かけて、多くの日本人は精神的な飢えに向き合うはず。
どうか「これじゃいけないんだな」と振り返ることのできる日本人であってほしいし、そのようなことを考えるための時間をあたえてくれる日本の政(まつりごと)であってほしい。
