富士山大規模落石事故 

 

1980年8月14日。午後1時50分ごろ。

富士山の山頂付近で落石が発生。

吉田ルートの登(下)山道を転がった落石が八合目から六合目にかけて多数の登山者を巻き込んだ事故である。

死者12人、負傷者29人の国内の落石事故史上最悪の惨事となった。

 

 

事故の経過 

 

落石は二度にわたり発生。

直径1~2メートルの巨石50~60個が左右に尋張りながら一直線に滑り落ち、雪崩のように広がった落石は下山道を直撃した。

八合目にかけて多数の登山者を巻き込みながらなぎ倒したのち、六合目と七合目の中間付近で再び登山道に合流し、再び下山者を襲った。

 

地震などの前触れがなく突発的に発生したため、不意をつかれたところから被害は拡大し上記のような大惨事となった。

 

富士吉田警察署を中心に編成した150人の救助隊、陸上自衛隊富士駐屯地の隊員、難を逃れた登山者や山小屋関係者らが救助にあたった。

死傷者は4つの病院に搬送された。

死者の多くは頭部を潰されて即死の状態であった。

 

 

被害者への事後の対応 

 

1980年9月16日。

日本の行政組織側は「予測できない落石により発生した"異常な自然現象"による災害と認定して、「災害弔慰金の支給等に関する法律」も基づいて最高限度額を支払うと決定した。(死者のみに弔慰金100万円、または200万円支給)

 

この落石事故では損害保険業界において「交通事故」として扱うべきか否かで議論となった。

通常は登山道は道路として扱わないが、この事故においては道路として認められ、交通事故であったとして交通傷害の保険金として支払われるという異例の対応がとられた。

(以上、Wikipedia「富士山大規模落石事故」を参照して記述)

 

 

まとめ 

 

たとえ噴火をともなわなくても、ヘルメット未装備での登山というものが恐ろしいということがこの事故の内容からよく分かります。

そして、山岳保険に加入した上で登山を行うこと。

 

また、不測の事態に備える意味でも、入山者管理の枠組みを国主導で徹底して早急に行うべき時期に来ていると感じます。

 

1707年10月28日 南海地震

1707年12月16日 宝永大噴火

 ↕(約150年間) 

1854年12月24日 南海地震

1854年地震発生以降 噴気活動(~昭和中期)

 ↕(約100年)

1944年12月7日 東南海地震

1946年12月21日 南海地震

上記の地震後に富士山に大きな活動はなし(~現在)

 

予測される富士山の何らかの大きな活動についても、東南海地震や南海地震を起因しないとも言い切れないでしょう。

 

私は戦中戦後の地震の後、動くことのなかった富士山、そしてその御心を夢想するに、言葉にできない思いがこみ上げます。

 

土地の精霊の息吹を命として宿した人間が亡くなっていく。

数々の爆撃が遠く離れていてもご神体に響き、翻弄されたことでしょう。

 

しかし、それらによる怒りを飲み込んだのは

日本に宿る精霊、国土を癒すことと、

親を失い、焦土を嘆きさまよう子供たちのいまにも消え入りそうな命の灯を見たからなのかもしれません。

 

富士山は日本にとっては「お母さん」でもあると感じます。

 

だから、そういった霊的な意味でも、いまの人間の富士山への良くない態度は改めるべきなのではないでしょうか。

 

 

ライト付きのヘルメット