新宿で起きた暴走した車による死傷事故。そして、暴行、そして教唆によって自殺してしまった旭川の10代の女性。これらが報道されるたび私は加害者に対して思うことがある。

 

 

この世でできる限りの反射を受けることができなければ、きっとあの世で生まれたときに耐え切れないということ。

 

 

一体、何に耐え切れないのかというと。

 

 

それは三者の同時視点再生が始まること。

 

 

例えば新宿の事故の被告がこのまま判決を待たずにあの世に生まれたとするなら、こういうことが①~③段階で始まる。

 

 

①相手の視点の再生

相手に成り代わり、自分との関わりを再生します。まるで自分が相手自身になったかのように、痛みや苦しみ、そしてそれまでの記憶、人生を踏まえたうえで体験します。そして、その時の自分を捉えることになります。

 

その時点で、加害者は自分の本当の罪を自覚します。

 

②第三者の視点での再生

①と同時再生で、かつ、自分の背後から『自分』と『被害者』で起きたことを観ることになります。

 

これは仏の視点なのです。

 

ここで加害者は自分自身を審判することになります。

 

 

③自身の視点での再生

②で自分自身が許せなかったときに再生される視点です。

 

地獄というのはこの①と②と③が同時に始まり、終わることがない様相をいうのです。

 

鬼とは、罪人自身です。自分自身の罪が許せない鬼になるのです。

 

簡単にいうと、

 

①「くるしい、悔しい、怖い!」という被害者の視点

②「おいっ、なんて非道いことを…やめなさい!」という仏の視点

③「こんな自分を許せない! こんな自分は同じ目に会えばいいのだ! どうだ!」という己の罪を罰する鬼の視点。

 

 

これが三者の視点です。

 

 

救いがあるならば、それはこの世で自分の罪に対する正しい、罰を受けることです。その罰とは、被害者の視点にたったものでなければ、意味がありません。今の日本はそれを良いと承認する精神レベルに達していないのが現実です。

 

 

この現状を踏まえ、最初に述べたような事件、事故の被害者や被害者のご家族のことを思うと、心が痛みます。また、他人事ではありません。

 

 

ただ、溜飲を下すことができるかもしれない一つの慰みとして、あの世での三者の視点が実在することを私は眼の奥で観ています。

 

 

死ねば皆仏という言葉。これは「罪人もあの世に行けば仏に成り、罪が消える」という意ではないのです。仏の視点で今までの人生を振り返るという意なのです。

 

 

半面、私はこういった、この世の網をすり抜けてしまった罪を犯した人をとても気の毒にも思います。

 

 

あの世は、この世に存在した時の流れは存在せず、見たくないものから目をそらす目もなく、見たくないと綴じる瞼も、避けて逃げる手足もないようなものだからです。

 

 

合掌。