霊能者、スピリチュアルカウンセラーといった方が、霊的な行為で金品を相談者から頂いくという行為が恐ろしいという私自身の持論。これについて私はこのブログで色々な形で書いてきました。

 

 

社会活動や労働の権利であるなどと、料金を取るということを色々な理由をつけて肯定している方々が多いという印象を受けます。神や高次元を主張しているほど、そのベクトルが正反対・・・いやべつの次元へと向いていることが分かります。

 

 

私は、『見えない世界には、見えない世界の理(ことわり)が働く』と考えています。

 

 

相談者が持参した金品は、元は相談者の生きる糧になるものでもあったかもしれない。相談者を生かす、血や肉にもなっただろう金品だったのかもしれない。見えない世界(思慮の世界でもある)ではまるで金品という幹から金品が行きつく先として幾重にも枝葉が分かれているように観えています。

 

 

だから金品を受け取るということは、見えない世界下で相談者自身の樹木を受け取るということになるのです。

 

 

例えばその上で、受け取った金品を飲み食いをするために使用するとしましょう。

それは、樹木の枝葉から、花が咲き、果実が結実する。そして、それをもぎ取って食らうということに帰結します。

 

 

自己に存在している神性(誰一人として持っていない人は存在しません)に素直な人ほど、それを結実させてしまう恐ろしさ、その生々しい果実を口にすることのおぞましさが分かります。だから、食らうと書きました。

 

 

相手に樹木を差し出させることすら、神性の琴線に触れるので、よって、神性を自己の中に認めるほど、自分が能力者だとは言えません。相手にもそうだと悟らせないでしょう。

 

 

神性、神性と表現しましたが、神性とは決してなにも幻想動物のような存在ではなく、

自己と一体となって出会った可視不可視の物事を祝い続ける『恒久の愛の柱』でもあると感じています。