何度も書くけれど、いま富士山が静かなのは「戦争で傷ついた大勢の子供たちを見すごせなかった」のだと私は考えている。

 

 

しかも、戦争の混乱から復活する後ろ盾になっているように感じる。経済的にも、日本人の心的にも。

 

 

それを日本人自身が気にも留めてないことが、私は残念でならない。

 

 

また、気にも留めないように外部からさせられていることにも、非常に憤慨している。

 

 

富士山は観光で登るような山ではないし、富士山は登る人の心はお見通しなのだろう。

 

 

いったい日本人としてどうしたら良いのだろうか。