人ごみが嫌いで渋滞が嫌いな私は
大体GWとか盆暮れ正月は、
買い物したり行きたかったお店に行ったり、
まったりと過ごすことが多いのだけれど、
今年の連休は、久々に遠出して車で実家へ帰った。

私が大学に行くために実家を出てから10年経った。
私にゃ姉が一人居るのだけれど、昨年2月にめでたく結婚して家を出た。。家には両親2人。。
さすがに寂しいだろうと思って、
今年の連休は帰るわ~って話をしたら、

「旅行に行くから1日くらいしかおらんよ。。」
と、意外に冷たくあしらわれた。。

そういえば、私が家を出てから、
時間があると2人して旅行している。
たまに電話したりすると旅行の話を
楽しそうにしてくれる。
元気なうちに楽しんでほしいもんだ。。

とりあえず2日間の予定で帰省して、
時間の合う一日に、姉夫婦と一緒に豆腐料理屋で食事をした。
相変わらず姉の旦那さんと父親の会話はぎこちない。。

両親を含めて食事をすると、必ず、私が一人暮らしを始めた
ことの是非についてが酒の肴になる。。
彼らはそれを悔やんでるんだろうなぁと思う。
実家に寄り付かない私が悪いんだけれど。。

私は、一度も一人で生きていこうとしないで
誰かともたれ合うことが出来る環境にいるのは、
その人に いいことばかりではないと思うんだけれどな。。
まぁ、ずっと実家で生きてきた姉の旦那さんは、
やさしい男前なんだが。。

短い2日間の里帰り。。あわただしくしてきたけれど
故郷の空気の中で落ち着いていろいろ考えられました。。♪
どっちがいい?@イソップ物語


今年のGWは、何とまぁ、9日も休みをいただいた。
会社生活5年間で初めて、こんなに仕事をしなかった。
徳島の実家にも帰ったし、
帰り道 京都や奈良に寄ってきたし、
飛騨高山や浜名湖の方へも行ってきたし、
最終日にはコンサートに行ったりして

文字どおり遊び呆けていた♪
いやいや。。楽しかった♪

さて、表題の前部分はGWのことだけれど
GWとは言うまでも無く 有名ピアニストの
ジョージ・ウィンストンのこと。。
ではなくゴールデンウィークのことです。念のため。。

さて、後ろの白銀の週とは、その前後の週を指します。
つまり、これを乗り切れば連休ですな。という週と、
連休如何でした?というビジネストークが出来る週をさします。えぇ、私が今考えましたが何か?( ̄^ ̄)


私は黄金週間も もちろん好きなのだけれど、
この前やあとの週も好きだったりする♪

要は、文化祭当日よりそれに向けていろいろと準備しているのが好きで、
文化祭前日は寝らんなかったりして、
文化祭終わったら打ち上げに花咲かせてというのが好きな人なんですわ。。私。。

というわけで、GWの余韻に浸りながら
打ち上げかねて日記でも書いていきます♪
何時の話やねんっていう突っ込みは無しで♪

“人には人の考え方がある。”


遠い昔 誰かに言われたこの言葉を 私は多分一生忘れない

その人の 立場や状況や経験や知識や

様々を組み合わせて 人は考えを作り上げる。。


私は 立場や状況を理解し 経験や知識を敬うようになった。

考えは 理解しなければならないものであって

否定するものではなくなっていた。。

少なくとも 私の言葉では。。



両親は 多分相談してほしかったんだと思う。

勝手に決めて 遠く離れて気ままに暮らしている私に

多分 納得していない。

それは理解している。。 けれど抗弁はしなかった。



考えてみれば 私は他の場所でも同じように

人の考えを理解するために話をする。。

自分の考えは伝えても

人の考えを否定することはない。。

違う意見は受けるけれど返すことは無い。。

結論は結果が表してくれる。。


上手くいくこともある 上手くいかないこともある。

会社というのは 自分で思うとおりできるほど簡単なところではないけれど

私には そういう私のやり方ができていた。。


それが 他人と意見をすり合わせることを怠り

他人の寛容に甘えることだと 何となく解っていた。。



名古屋に帰る前の日

父に “これから先どうするか” 聞かれた。

“お前がどうするか考えてないとは思っとらんけど。。“

そういう注釈をつけるところが彼らしい

私はそういう彼を見て 今の私になったんだと思う。。



家族における私が 社会における私なら

私のしていることは 正しくない。。

私は これからの人生をかけて

もっと何か別のやり方を探してみる。。



BGM: Nude~~ Song By Vo Vo Tau


京都の日記が途中になっているけれど

すっかり忘れているので思い出しながら後日追記します。

このままだと京都に引っ張られて最近のあれやこれやが書けないので

年明け 気分も新たに日記♪



ごくたまに 重い言葉に出会うことがある。

それはとても唐突で 不意を衝かれ

考えが右往左往して想いが乱れるけれど

そうして考えることで何か想いを飛躍させることのできる言葉。。


年明けて いくつかのそういう言葉に出会った。。

「私に足りないもの」について。。



社会学では まず自分を中心に他人との関係を考える。

それらの関係で同一に分類できる場合

それら一つ一つを“社会”と言う。


よく言う「社会一般に」というフレーズは

大きく“日本社会”をさしていると考えるけれど

そんな大きなくくりだけでなく


たとえば家族であったり会社であったり

小学校 中学校 高校 大学時代から 

趣味のサークル等様々ある小さなくくりも

立派に“社会”を構成している。。


おそらく多くの人間が

一番初めに入るだろう社会が

“家族”という社会だと思う。。

ある 確かな筋からの話。。♪

どうも この社会の原点ともいうべき

家族における構成員への振る舞いが 

他の社会での同じ立場に居る構成員へ影響するらしい。。

つまり 両親への行いが 会社の上司へ影響するのだそうな。。

そう言われると思い当たることは無いわけではないが。。

昨年帰省した時に 両親と共に親戚の家に挨拶に行った。

親戚との昔話の中で 母は笑いながらこう言った。

「この子は全く反発することが無かった。

反抗期なんか無い 本当に手がかからん子だった。

けど 何でも いつの間にか自分で全部決めとった。

大学も就職も。。自分のことは自分でと思ってたんだろな。」

実家を離れて大学に入るときも就職するときも

そういえば 両親に相談して決めたという憶えはなかった。

考えは聞いたけれど 決めるのは自分で決めた。。


人に”変わること”を求めるのは

多分 とても勇気が居る。。



まず その人を思っていなければならない。。

そうでなければ 変わらせることに責任が持てない。。


そして その人に嫌われても良いと思えなければならない。。

そうでなければ 変わらなかったときに嫌いになれない。。


京都で逢った旧友は そういう人だった。。



彼女は私に“変わった”と言った。。

私は彼女に“変わったほうが良い”と言った。。



それは 彼女が昔私に“変わること”を求めて

私が彼女に“変わること”を求めなかったからかもしれない。。


前者は間違いないけれど 後者はよくわからない。。

あの頃と同じことに惑わされ 迷い苦しむ彼女を見て

あらためて 彼女に“変わったほうが良い”と言った。。




いつか 彼女が“変わった”時。。

互いに互いを思っていたんだねと

昔話をしたいと思う。。



それはさておき 京都古都紀行。。