みなみです。
きのうのお夕飯にピーマンの肉詰めを作りました。
旬のピーマン。
そういえば甥はピーマンの肉詰めが好きだったなぁと、作ってあげたくなりました。
スーパーへ行ったら、ちょうどツヤツヤした肉厚のおいしそうなピーマンがあったので、早速買って帰りました。
お肉てんこ盛りのピーマン肉詰めは、とってもジューシーで肉肉しくっておいしかったです。
きのうは仕事が忙しくて、お昼ご飯が食べられなかったって言ってた甥。
バクバク食べる甥に嬉しくなりました。
☆
甥と同居する時、
甥には甥の人生があって、私には私の人生がある。
ずっと一緒にはいられない。
過保護にならない。
そしていつかは甥と別居する。
と決めての同居でした。
その頃甥はまだ10代の学生でした。
父親を亡くした甥が、この先ひとりで生活できるようになるため、
私は一時的なつなぎ役というか補佐的な存在であればいいと思っていました。
そんなふうに思っていたから、
甥は家事やらなんでもひとりでできるようにならなければいけない。
私がいなくてもちゃんと食事を作って片付けて。
部屋の掃除やお洗濯、ワンコのお世話も...と。
もちろん今でも甥は夕食の後片付けや洗濯もするけど、
もっともっと積極的にやってもらわなきゃ、のちのち甥が困ると思っていたのです。
でも気づきました。
これってみ~んな私の無意識のコントロールでした。
健康のためにもなるべく自炊して、きれいに部屋を整えて。
そういう私の価値観を甥に押しつけようとしていました。
甥がこの先、食事をどうしようと掃除をするもしないも、それは甥が決めることです。
口にこそしなかったけど、私のそういうコントロールはちゃんと甥に伝わっていました。
時折ゆる~い反発が返ってきていたのは、私の捻れた思いが伝わっていたからです。
きのうも仕事から帰ってきた甥に、自分の水筒を
これ洗ってくださ~い。
お願いしま~す。
と言われた私は、
今日も残業お疲れさま~
お風呂入って、ゆっくりしてね。
って思うから、
うん、いいよ~。
って、軽く受け止められるのです。
以前は、
これを洗うのって、今後の甥のためになるの??
なんてややこしく考えていました。
なんてことはない。
やってあげたければやる。
やりたくなければやらない。
今日は無理~、ごめんね~。
このスタンスでいいのです。
このシンプルさがいいんです。
これは数ヶ月前にようやく腑落ちしたことでした。
こうしてまっすぐなエネルギーを出せるようになると、なんだか隠れていた私の母性が全開になって、
あれも作ってあげたい。
これも食べさせてあげたい。
って思うようになりました。
まっすぐな私の愛を甥に伝えたくてしょうがないのです。
愛って溢れてくるのもなんだと感じます。
以前に比べて甥はよく話すようになり、一緒にいる時間がさらに楽しくなりました。
職場での様子やテレビを見ながら話す甥の言葉の奥には、今まで見えなかった甥の人間性や頼もしさ、やさしさも感じます。
もうすっかり大人になったのね!
と、甥を信頼している自分にも気づけました。
ピーマンの肉詰めからこんなことを感じた幸せな一日でした。
