ぷぅーこの歴史学の時間です!!
急に湧いてでてきますルンルン
歴史が大好きなんだけど
間違ってることも多いので
鵜呑み禁止です爆笑



今回は

邪馬台国の女王 卑弥呼の謎について

ぷぅーこなりの

解釈をまとめてみましたキラキラ



卑弥呼は誰だったのか!?

それは古代史上

多くの謎のなかでも最大の難問キラキラ


まず

卑弥呼は

架空の人物だとおっしゃる説もありますが

ぷぅーこは

実在していたと考ています

照れ



しかも

複数説が正しいのではないかと

考えている爆笑


日本の始まりは

五帝最後の虞瞬につかえた

中国の夏王朝 禹王から始まった!!


根拠はありませんが

そんなふうに感じています照れ



そして

初代 卑弥呼は縄文時代後期には

登場していたのではとキラキラ



ぷぅーこは

初代 卑弥呼と

神武天皇とは直接的な関係は

いっさいなかったと思っています!!

しかし

初代 卑弥呼の時代に成立した

政治体制や文化が

のちの天皇制や古代日本の政治構造に

すごい影響を与えたのだと

思っているルンルン



そして



その頂天には

どうも禹王がでてくるうーん



一説には

邪馬台国の人々が

太伯の子孫だと名乗って

助けを求めたって話があります

そのため

初代 卑弥呼

この太伯の子孫にあたるとも

言われていますキラキラ


太伯はまたの名を

虞仲

虞瞬の伯父にあたるのかな…キョロキョロ



禹王は

前皇帝が位を

息子に世襲せず

一族以外の他人に譲る

禅譲で

有名な王様でしたキラキラ



しかし、死に際

前の王に繋がりのある

その位を返そうと

遺言を残したのだが

益は3年間の禹王の喪があけると

あっさり

禹王の息子・に帝位を譲って

隠棲してしまいますびっくり


啓が益を殺して

帝位を奪う説もあるのだが

もし殺していたら

その後

邪馬台国のものたちが

太伯の子孫を名乗って

助けを求めて行くなんてことは

不可能なのでは…滝汗

 

親の敵にすがるなんてねアセアセ



益は

またの名を大費と呼び

黄帝の孫のさらに孫娘である

女脩が産みましたキラキラ


その大費には2人の息子

大廉若木がいました


禹王の時代

立派な功績を残し

の名を賜わったのが兄の大廉!!


西方の秦国を治めた

始皇帝 嬴政の流れに

なっていきますキラキラ



そして東方・徐州を治めたのが

徐市徐福の流れというわけです!!


みんながよく知る

秦の31代始皇帝・嬴政と

不老不死の仙薬を求めて日本へ来た徐福は

同族同士だったってことにおねがい



ちなみに

同一人物説がある徐市徐福

親子であって

同一人物ではないと

ぷぅーこは考えていますキラキラ



徐市は中国から脱出しようと
先に息子のひとりを日本に送るが
連絡が途絶えたため
朱や水銀などを探せと
皇帝に命じられたときの資金を元手に
もうひとりの息子とともに
みずから
日本へ渡ってきます!!


そして
  

そのなかには
卑弥呼の母親にあたる人物が
いたのではないか!?
そんなふうに思うようにおねがい



徐市が
秦国の支配下から無事に脱出し
日本での地盤固めに成功し
自分が王として
ひとつの国を持ち
新たな后を迎え安定しだした頃
中国に残された子供のひとり
徐福が
なかなか自分たちを日本へ呼ばない
父親・徐市に苛立ち始めますムキー


なので
父親がやってのけたように
今度は不老不死の仙薬のためだと
皇帝を騙して
渡来費を蓄え
日本へやってくるのです滝汗


ここだけを読んだら
同族にお金を騙し取られた
秦の皇帝って…


哀れだわえーん

 
日本に渡った徐福は
そこで
日本にたどり着いたのちに産まれ
父親・徐市や民から愛され
次の王位継承者にまでなっていた
末の弟と
初めて出会うことに!!
 

禹王や父親を尊敬していた徐福キラキラ


尊敬し憧れていた父親からは
明らかに違う対応…
自分は
中国に置き去りにされ
すでに見捨てられた存在だったのだと
気付かされ
ともに日本へ渡ってきた
残りの兄弟たちと
反乱を起こしてしまいますアセアセ


異母兄弟である末の弟に
みるみる殺意が
わいてしまったんでしょうねタラー
そうなったら、もはや止められない
とうとう殺してしまった…ポーン


………と、いうのが


初代天皇 神武の
真相なんじゃあないかと
思うように!!


武力で奪ったものは
ふたたび
武力で奪おうとするものに
狙われますショボーン


邪馬台国絶滅の背景には
さぞかし長きに渡り同族同士の戦いが
繰り返されたのだろうと
考えられますえーん



神武からあとの時代の天皇は
欠史8代なんていう
名前でも呼ばれていますよねアセアセ

即位しても
すぐに殺されてしまう滝汗

8人より少なかったか多かったか
それすらもあやふやですタラー


そのような背景からも
過去に女性の王が治めた
安定した時代とやらに強い憧れや
すがる思いもあったのかも知れません
そのことが
複数の卑弥呼を生んだ気がして
なりませんショボーン


そして


この神武天皇の
さらに前の時代までさかのぼったら
出雲神話にでてくる
アマテラスが卑弥呼で
徐福が
荒ぶる神スサノオで神武天皇って説も
妙に
しっくりしてくるんですよね
ウインク


これが
後半に出てきた
複数の卑弥呼たちの話しと
ごっちゃ混ぜになって
迷宮入り状態に゙
させてしまうんだけどさガーン


大阪や奈良には
神武東征以前に大和の国を治めていた
王や女王の話が
いくつも残っているキラキラ


そんなことからも
ぷぅーこは
初代 卑弥呼がいた邪馬台国
奈良にあった説オシ
だったりします爆笑


卑弥呼は



神功皇后時代に現れた偽物を含めると
その名称を語る人物が
8人ほどいたのではないかとも
思っています照れ


2代目 卑弥呼は
2代 綏靖天皇の時代に!!
 

3代目 卑弥呼は

5代 孝昭天皇の時代!!


4代目 卑弥呼は

6代 考安天皇の時代!!


5代目 卑弥呼は

7代 孝霊天皇の時代!!


6代目 卑弥呼は

9代 開化天皇の時代!!


7代目 卑弥呼は

15代 応神天皇の時代に!!



日本には

卑弥呼だけではなく

ヤマトタケルも

たくさんいらっしゃる滝汗


これが

のちにゴチャゴチャといろんな説が

できてしまう要因であったのだろうけど

それらは全て

16代 仁徳天皇の時代に

廃止されるキラキラ



卑弥呼は祭祀王キラキラ



いまでも使われている

天皇陛下

という言葉からもわかるように

天皇は

宮殿の階段の下にいる位の人物

だったのです!!


階段の上には

常に祭祀王がおられ

扱いは天皇よりも

ずっとずっと上だったとかタラー


もし


卑弥呼の母親が

太伯の流れのものだとしたら

徐市より

とうぜん身分は上で

敬われていた可能性がありますキラキラ

その子供が

ズバ抜けて頭が賢かったのなら

政治にクチを出してきても

おかしくはないキョロキョロ

 


政治のことを

まつりごととも言うように

17〜18世紀頃に

市民革命がおこったことにより

卑弥呼の時代に行っていた

祭政一到というものがなくなり

政教分離原則

確立されるようになった!!



真実なんか

全然わかりません笑い泣き



だけど

卑弥呼は複数いて

初代は奈良にいたんだって

そんなふうに

ぷぅーこは思っています飛び出すハート



歴史って

わからないから

自分好みに染めることも可能だし

ほんと

面白いですよね爆笑