戦前戦後の堀川通り・堀川京極から堀川団地へ | 京都はんなりロマンチカ

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一條戻橋から堀川に下りてみます

 

ついこの間までピンクの花でいっぱいだった河津桜が

早くも葉っぱで覆われていました

 

安倍晴明が式神を木箱に入れて住まわせていた

一條戻橋の下

 

木箱はどっち側から発見されたのでしょう

埋め直したと記されていましたが

今もどこかに埋まったままになっているのでしょうか

 

ここから先は自然を多く残してあるので

夏前になると蛍が飛びます

 

 

 

振り返って戻橋

 

実際に数々の伝説が残されてきたのは

少なくとも二代前、あるいはそれ以前の橋ということになりますが

この場所であったことは確かなので

やはり感慨深いものがあります

 

南に堀川第一橋が見えます

お天気が良くて、うららかな春の日

とても気持ちがいいです

 

アーチを描く石橋

素敵です

 

橋の向こう側に鉄橋跡が見えるでしょうか

 

あの鉄橋が、市電が通っていた堀川橋跡です

 

(当時の貴重な写真をネットで探してきたので載せます)

京電(京都電鉄)時代の中立売停留所

 

単線時代だと思われる

 

単線時代は橋の東側に転車台がありました

 

この可愛らしい一両の電車が

市民にとっては大切な移動手段やったんですね

 

現在の広い堀川通りとは違い

左側(堀川通り西)の建物が、川のすぐ手前まで

軒を連ねていたことがわかる一枚

 

その後、京電は市に買収され、京都市電になります

線路も二車線になりました

 

できることなら明治、大正、昭和の戦後復興辺りの京都の町を

自分の目で見ながら歩いてみたい

 

橋の手前で遅咲きの八重桜が見頃を迎えていました

 

 

 

 

 

堀川通りは、京都市の主要な南北の通りの一つで

川を挟んで西側が、片側三車線

東側が、南向き一方通行ですが二車線あるので

かなり広い道です

 

現在はこの西側を堀川通りと呼びます

(左は世界遺産 二条城)

 

昔の一條戻橋の写真でもわかるように

戦時中まで、今の広い西側の道は存在しなかったんです

 

堀川小路という通りに沿って造成された運河・堀川を中心に発展し

京都御所や聚楽第を背景にマーケットとして栄えた地でした

 

この写真なんて、もはや川の西側の道は存在すらしていません

 

堀川通り沿い、丸太町通りより一筋北の椹木町通(さわらぎちょう)から

上長者町通までの間に建ち並ぶ5棟の団地(以前は更に北に、もう一棟ありました)

まとめて、堀川団地と呼びます

 

以前のブログにも書きましたが、日本で最初の

店舗付き共同住宅(げたばき住宅)として建てられた団地で

今も多くの商店が軒を連ねています

 

老朽化が進んでいたので、近年、耐震工事とリフォームがされ

生まれ変わりました

 

手を加えられることなく取り壊しが決まってしまった

最南端の椹木町団地

 

市民に愛された100円ケーキのマルノウチが入っていた団地です

 

こちらは既に3年ほど前に取り壊されてしまった

最北端の上長者町団地

 

完成して間もない頃の写真

 

何年か前、堀川団地のショーウインドウで

『堀川の記憶展』というのをやっていて

ミニチュア模型のようなものと、こんなパネルが飾られていました

 

 

 

これを見て、かつてこの地に『堀川京極』という

今とは違う商店街が存在していたことを知りました

 

堀川団地が建てられたのは戦後になってからで

太平洋戦争の末期まで、アーケードのある商店街が存在していたのです

 

電光看板のようなものも確認できるので

相当栄えた商店街だったのでしょうね

 

堀川京極にあった三階建てのあずま湯という銭湯の写真だそうです

 

寺町京極や西陣京極と異なり、興行街という位置付けではなかったようですが

寄席・芝居小屋が3館、飲食店、喫茶店やカフェーやレコード店まであったらしく

西陣京極よりも先に『京極』と名付けられていたようです

 

当時の様子がわかる写真がこのくらいしか出てこなかったのが

残念でなりません

時代の最先端を行く、モダンでハイカラな通りだったのでしょうね

 

その後日本は戦争に入り、防火帯設置のため

この堀川通りが建物疎開の対象にされました

 

わずか5日で堀川通り西の建物が次々と破壊され

焼野原のような無残な更地にされてしまいました

 

賑わっていた堀川京極も対象地にあった為

解体・更地にされ、跡形もなく消えて無くなってしまいました

 

昭和20年8月の終戦の、わずか4か月前の出来事でした

 

現在の堀川団地付近のグーグルマップです

 

もしかしたら間違ってるかもしれませんが

こんな感じかな~って色を着けてみました

 

①の紫に塗った部分が建物疎開で

更地にされた部分ではないかと思われます

 

②と③が以前の堀川小路(西側と東側)

⑤が堀川通りより一筋西の葭屋町通(よしやまちどおり)

④の黄色ラインが、かつて堀川京極があった南北の通り

緑で囲っている部分は堀川団地

 

更地にされた後、戦後の堀川通りの様子

 

戦後は今よりもっと広い道だったようですが

一部返還され、今の道幅になったようです

 

大幅な建物疎開により、道幅が広げられた通りとして

五条通り

 

御池通りが上げられます

 

五条通りも、御池通りも、堀川通りも無電柱化工事が終わって

すっきりしました

 

昭和28年に堀川団地が建設され

1階の店舗付き住宅には

堀川京極で商店を営んでいた人達が入られたようです

 

当時の盛況っぷりがよくわかる写真

 

過去に、堀川団地で見かけた風景について

こんなブログを書いてました

 
確かに堀川団地で銭湯を見たのに
2~3日後に通ったら消えてなくなっていたっていう
不思議体験
 
このブログを書くに当たって色々調べてたら
この時見た銭湯の正体がわかったんです

 

 

これだったみたい

不思議でしょうがなかったけど、正体がわかってよかった照れ