今回の杉屋佐助さんは、愛知県清須市にある「堀江山 長谷院」ですニコニコ

 

長谷院は杉屋佐助さんが弘化3年頃から一寺再興を夢見て尽力し、ついに安政3年に再興させた寺院です。

その賑わっている様子が『尾張名所図会』に描かれています。

 

※国立国会図書館デジタルコレクション『尾張名所図会』から引用・加工

長谷院といえばコレ!

という絵図ですね!ニコニコ

嘉永年間と思われ、本堂多宝塔仁王門燈籠茶所など景観が整っています!

境内を通って「津島上街道」に通り抜けができたため、参拝者も多かったようです照れ

 

 

※『新川町史 資料編』から引用・加工

これは天保12年の地図です。

新川町史 資料編』には弘化2年の堀江村絵図も載っていますがほぼ同じです。

 

 

もう他に無いかなぁと思っていたところ....

偶然に見つけました!爆  笑

 

※国立国会図書館デジタルコレクション『津島の渡り』から引用・加工

これは『津島の渡り』という天保3年9月に出版された本の1コマで、五条川にかかる「法界門橋」(西堀江村付近)を描いたものです。

津島街道に延々と続く人の行列。

右側に描かれた赤丸の日傘が連なって移動する様子は、まるで「大ムカデ」爆  笑

 

それはそうと、中央右端に描かれた小さな建物

場所的に長谷院かも?!びっくり

 

本が出版された天保3年は長谷院にとって重要な年です。

 

長谷院について少し復習しておくと、『新川町史 通史編』にはこう記されています。

 

新川町域の村々の中でも、長谷院は地域の人々との繋がりの深さという点で特筆すべき寺院である。
もともと西堀江村にあったが、元文三年(1738)に堂宇が焼失し、その後は名古屋に移転して南寺町阿弥陀寺の塔頭寺院となっていた。
天保期以降、西堀江村に再興される様子を、長谷院に残された「記録帳」などをもとに概観してみよう。
旧地への再興の機運が高まった契機は不明だが、天保二年(1831)十二月に西堀江村の願主弥左衛門ら三人は、引き戻しの冥加金として米切手130両を阿弥陀寺に渡している。
また移転に関しての仲介役であった巻窓院から20両借用している。
借用証文では借主を清州の正覚寺、証人を弥左衛門ら三人とするが、実質はこの三人が借主だろう。
天保三年二月に、長谷院の旧地である観音山に仮堂が建てられ、本尊十一面観音像が安置された。

 

火事によって消失したため、一旦名古屋阿弥陀寺の末寺となっていましたが、西堀江村の人々の尽力により、天保3年2月(※)に再び旧地に仮堂が建てられ、本尊が安置されたとの事です。

※『西春日井郡誌』『新川町誌』では天保3年4月5日となっています

 

そして天保3年5月に「津島の天王お蔭参り」と称した参詣ブームが起こり、名古屋城下から神社近在まで、町人は揃いの衣装や飾り物で町毎に群集して津島神社へ向かったという。

 

『津島の渡り』はその道中の様子を描いたもので、この絵は天保3年5月頃の西堀江村が描かれていると考えられます。

そして長谷院の仮堂が建てられたのが3か月前...。

 

つまり、ここに描かれているのは旧地(西堀江村)に戻った直後の長谷院(仮堂)ではないか!?

もしかしたら堀江山 長谷院が描かれた最古の絵図ではないか!?

と、思ったわけですニコニコ

 

※国立国会図書館デジタルコレクション『津島の渡り』から引用・加工
津島街道沿いにある立て看板?から建物への道が伸びています。

もう少し右側が描かれていればと悔やまれますが、恐らく神明社があったのではないでしょうか。

仮堂の後ろ(前?)には「南無観世音菩薩」の幟があるので、描かれている建物は「お寺」です。

そして長谷院の本尊は「十一面観世音菩薩」なので、そのお寺は「長谷院」の可能性が非常に高いです!爆  笑

 

復帰当時の「長谷院(仮堂)」がどんな建物だったのか、どんな風景だったのかが具体的にわかったのは嬉しいですお祝い

 

この天保3年から2年後、元藩侯から多宝塔などが寄進され、更に杉屋佐助さん達によって記事冒頭の景観へと発展していくのですね~照れ

 

 

花火花火花火花火花火花火

 

ここから余談です。

『津島の渡り』で私が興味を持った場面をピックアップしてみましたニコニコ

※以下の図絵は国立国会図書館デジタルコレクション『津島の渡り』から引用・加工しています。

 

■枇杷島橋

本は枇杷島大橋から始まります。

橋を渡った左側は今は無き中島かなニコニコ

この本を見ていると、町人の行列は名古屋から「美濃路」を通り、新川橋で「津島街道」に入って津島神社へと向かっているようです。

 

 

■蜂須賀附近

蜂須賀附近。津島街道に物凄い行列ができていますあせる

上の方の街道から右方向へ道が伸びているのは「池鈴山 蓮華寺」への参道かな?お寺は描かれていませんが。

5月といえば田植のシーズン。田植に忙しい農民の姿も。

農民は、はしゃぐ町人を見てどう思ったのでしょうね。

 

描かれた各団体には町名が記載されている場合があります。

杉屋佐助さんの「中御園」があれば、もしかすると佐助さんが描かれてるかも!?

と思って全ページ探しましたが見つかりませんでしたえーん

「上御園町」はあるのですが...残念。

 

 

■名物の「団扇」

「名物御団扇所」。

団扇(うちわ)が名物だったんですね~!びっくり

ちゃんと展示の団扇にそれぞれ絵が描かれてて凄い!

ちなみに絵は『尾張名所図会』で有名な小田切春江さんだそうです照れクレジットは「歌月庵喜笑」

 

 

■名物の「あかだ」

もう一つの名物は「あかだ」です。

日本無類! 本家名物!爆  笑

 

袋に詰め詰め。忙しそうです爆  笑

 

「あかだ」は今も売っています。

きっと佐助さんも食べたに違いないウインク

 

 

■東大門

最後は津島神社の東大門。

いや~凄い人で大繁昌ですね~あせる

注目は左下。

 

「ふるまい茶」って書いてあるのかな?

茶釜が見えます。お茶を振る舞っていたようですね!爆  笑

あと瓶と桶もありますね。水でしょうか?

 

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※2025/06/30追記

この様子が『金鱗九十九之塵下』にも載っていました照れ

 

天保みつのとし、何れの所よりか始出けん。

津島の宮にお影まゐりのはやり事して、名府の町々思ひ思ひに美を尽し、纏やうの物をかつがせつゝ、貴賤老若の男女頸をつぎ、袖をつらね行つどう有さま、古今未曽有のためし也けり。
さればとて、予が住る市中の人々も、打こぞつて参詣せんと、纏のかざりは、御秡の上に藤の花ぶさをつけ、下には五色の吹はらしを添たり。

 

※2025/07/16追記

※国立国会図書館デジタルコレクション『尾張名所図会』から引用・加工

『尾張名所図会』の佐屋津島追分の絵図ですが、もしかするとこの人の行列は「津島の渡り」かもしれません。

牛頭天王祭の時かもしれませんがあせる

この大鳥居は伊勢湾台風の影響で現在は柱部分しか残っていません。しかし、常夜燈と道標は残っています照れ

 

花火花火花火花火花火花火

 

新発見を求めて、佐助さん探しの旅はつづく。

またねー!