江戸時代に執筆された『名古屋叢書 第20巻 感興漫筆』のp452に
川を越て長瀬村なり、岸上に接待茶所あり、渡しを越て長瀬村、尾張の商家の寄進する物多し。
後これを聞くに、庵主の僧、常に名古屋に出て商家など勧進す、故に名古屋人の寄附物多しと云。
と、長瀬村には名古屋人の寄進物が多いと記載されています。
もしかしたら、杉屋佐助さんの寄進物があるかもしれない!?
という事で、長瀬村散策の今回は下長瀬地区です
最初は木知原(こちぼら)から谷汲山大橋を渡ってすぐ管理釣り場へいく道がありますが、その途中に祠が3つ並んでいます。
左から馬頭観音様、お地蔵様、観音様のようです。
馬頭観音様は台座に何か刻まれていましたが、
大野
長□
三平
しか見えませんでした。
お地蔵様は道標を兼ねているようでした。
右 た□□□
左 ぜん□□
観音様も腰のあたりから何か刻まれているような気がしますが、彫が浅くて読み取れません
道中安全をお祈りました
「善立寺」にやってきました。下長瀬で唯一のお寺です。
喫茶店が併設されています
現代版の「茶所」でしょうか。
本堂には太鼓が吊るされていました!
どうやって使うのかな。
こちらも境内は綺麗に整備され、特に仏像などはなく、親鸞聖人像と雪見灯篭だけでした。
県道40号を越えて「六社神社」にやってきました。
大正7年(1918)に寄進された石橋を渡って拝殿へ。
新築の拝殿ですね!
令和5年の12月との事で、まだ半年しか経っていません
側面には寄進者の想いが刻まれていました。
昭和二十年この社より出征し無事生還できたことに感謝するとともに、故郷の末永い繁栄を祈念して之を収める
青木和芳(九五歳)
昭和20年に太平洋戦争へ出征し、無事生還できたことに感謝とあります。
昭和20年8月に終戦した日本、当時16歳だった青木さんが兵役についたのは半年ほどかもしれません。
その半年ほどの出来事が、95年の人生の中で強く心に刻み込まれた経験であることに衝撃を受けました。
「想像もできない出来事」
しばらく、何も考えられなくなりました。
これまで寄進物に刻まれた内容で、衝撃を受けたものがいくつかあります。
いつかまとめてみたいと思います
少し足を伸ばして「結城神社(五社神社)」にやってきました
かつては参道途中に名鉄谷汲線が通っていました。
常夜燈を一つ一つ見ていくと、ついに「名古屋」の文字を見つけました!
[右側]
昭和九年十一月建之
名古屋市押切町
石原角太郎
[左側]
昭和九年十一月建之
岐阜市外加納町
高橋新太郎
残念ながら江戸時代ではありませんが、名古屋からの寄進物を見て心躍りました
拝殿です。狛犬さんが気になったので見てみると...
大きな垂れ耳に大きな鼻。出雲型でしょうか?
阿形に狛犬チビちゃんがいますね!
台座には、
京都市
嵐山
高橋□□郎
御大典記念
昭和四年四月
と刻まれていました。
さらにさらに徳積まで足を伸ばして、祠というよりは休憩所にやってきました。
谷汲山山門はすぐ近くです。
『揖斐郡志』によると、徳積は弘化3年(1846)には宿屋が18軒もあったそうですよ
隣には町石がありました。
[正面]
是ヨリ 谷汲山 十二町
[右面]
高橋寛二建
休憩所の中にはお地蔵様がいらっしゃいました。
このお地蔵様は「箸納め地蔵」と呼ばれ、巡礼者が道中で使ってきた箸を収めたと言われているそうです。
華厳寺は西国三十三所札所の最後なので、もう箸は必要ないよという事でしょうね
左側のお地蔵様の台座にはいろいろ刻まれていました。
[正面]
右 善光寺
大坂 長治良
真□ 吾市良
尾州 歩吉良
六十六部廻国建立
岐阜 吉三良
飯柄 慶□良
下真□ 久米之助
左 谷汲道
[右面]
慶應四戊辰天申月□□
十方施主
[左面]
村世話人
高橋太七
高橋久作
「右 善光寺、左 谷汲道」とあるので道標のようです。
久しぶりに見る「尾州」の文字
慶應4年(1868)に建てられたようです。
慶應4年は9月8日に明治へと改元。明治維新です!
気になったのは「六十六部廻国」と「十方施主」です。
六十六部廻国って何だろう?と調べると、
北は出羽・陸奥(現在の東北地方)、南は薩摩・大隅(現在の鹿児島県)に至る全国66の国の霊場に法華経を奉納するという名目で行われた日本最大の巡礼である。
との事。日本最大とは凄い!
wikiの霊場を見てみると、尾張と美濃は共に一宮、いわゆる真清田神社と南宮大社だそうです。
面白いのは、霊場がお寺と神社が混在している点。神仏習合で区別無しなのでしょうか。
十方施主を調べると、
この世界のありとあらゆる人の勧進によって建てられた石造物(廻国塔)
わかるようなわからないような...
刻まれた名前は施主なのか巡礼中に亡くなられた方なのか。
とりあえずわかるのは、この徳積という地区は、高橋一族が地主(有力者)さんなんだろうなぁって事かな
次回は接待茶所である「正受寺」跡です。
つづく。