『名古屋叢書 第20巻 感興漫筆』のp452に

 

川を越て長瀬村なり、岸上に接待茶所あり、渡しを越て長瀬村尾張の商家の寄進する物多し
後これを聞くに、庵主の僧、常に名古屋に出て商家など勧進す、故に名古屋人の寄附物多しと云。

と、長瀬村には名古屋人の寄進物が多いと記載されています。

もしかしたら、杉屋佐助さんの寄進物があるかもしれない!?

という事で、長瀬村を散策しています爆  笑

 

前回の上長瀬渡船場跡から上長瀬地区を散策してみました。

何が見つかるかな~!爆  笑

 

長閑な集落を歩いていきます。

樽見鉄道の踏切でちょうど電車が来ました爆  笑タイミングいいゾ!

 

何かないかと樽見鉄道「谷汲口駅」に来てみました。

 

駅の隅っこに電車が展示されていました。

解説板によると「オハフ33形」という昭和22年に造られた客車のようです。

碑が一つありましたが、常夜燈のような石造物はありませんでした。

 

 

上長瀬地区で石造物があるならココかな!?と思った「長山寺」に来てみましたニコニコ

上長瀬地区では唯一のお寺です。

 

境内入口に「石神」様がありましたニコニコ

仏像が浮き彫り(舟形)となっています。

「長山寺」と刻まれていますが、寄進年等は不明です。

 

親鸞聖人の像と雪見灯篭がありましたが...。

この3つ以外に石造物は見当たりませんあせる

 

 

県道255号を南へ下って「七社神社」へ来ましたニコニコ

 

社標の裏には「除隊記念 横山□□」と刻まれていました。

 

境内の寄進物は比較的新しく、江戸時代や名古屋の商家のは見つける事ができませんでした。

 

こちらの岡崎型と思われる狛犬の台座に刻まれていたのは、

 

かなり見えづらいですが、

昭和九年五月建設
奇□省
朝鮮成興
国枝□九郎

と、朝鮮で成功したお礼として寄進されたようですね花火

 

道中、石造物を発見して見に行くとお墓だったりと、なかなか見つかりません。

 

※wikiより引用

一つ頭に浮かんだのは、明治24年(1891)に発生した濃尾地震です。

震源はここから16Kmほど北へ行った根尾谷あたりで、マグニチュード8.0だったらしいです。

wikiには「震央近くでは、揺れにより山の木が全て崩れ落ち、はげ山になったなどと伝えられる。」とあり、常夜燈などは倒壊して処分されてしまった可能性もあります。

 

道を歩いている途中、巣立ったばかりのツバメちゃんに出会いましたヒヨコ

親鳥からゴハンをもらっていましたよ!照れ

来年、戻ってきてね!

 

上長瀬地区の散策はこれぐらいにして、下長瀬地区へ向かいたいと思いますニコニコ

 

つづく。