今回の杉屋佐助さんは、お墓についてちょっとした謎です。
① 杉屋佐助塚
佐助さんを追いかける出発点、そして最終点でもあるでしょう。
上部には長谷院を再建・再興した事を示す「中興開基」が刻まれています。
ある日、名前の彫の部分をよく見ると、朱色の跡があることに気づきました。
画像補正で彩度を上げていくと右のように名前の部分が赤く染まりました。
元々は「杉屋佐助」の文字は朱色だった可能性があります。
何故赤く染めたのでしょうか。
②佐太郎墓
杉屋佐太郎さんは、文化14年(1817)に生まれました。
そして天保3年(1832)、16歳の時には船入町にあった杉屋の支店に勤めるようになったようです。
『師崎屋諸事記』には、天保9年(1838)の22歳の頃から船入町の若旦那として米問屋を頑張っている様子が伺えます
しかし弘化2年(1845)の2月3日、わずか29歳という若さで亡くなってしまいます。
佐太郎さんのお墓の上部には「開堂」と刻まれています。
こちらは夕方撮影した写真です。
その「開堂」の「堂」の部分がへこんでいます。
もともとは別の文字が刻まれていて、修正されたようにも思えます。
真相は如何に?
どちらも愛知県清須市桃栄の「堀江山 長谷院」にあります。
新発見を求めて、佐助さん探しの旅はつづく。
またねー!