今回の杉屋佐助さんは美江寺(岐阜県岐阜市)の灯籠です
はい、やってきました「美江寺(みえじ)」仁王門前
実はこの美江寺は二つあります。えっ?
一つはここ、杉屋佐助さんの灯籠がある岐阜市の美江寺。
もう一つは瑞穂市(岐阜市の隣)にあります。
もともとは瑞穂市にあった美江寺ですが、斎藤道三が稲葉山城(岐阜城)を築く際、城下の繁栄のために城の麓に移したそうです。
なんとも強引なマムシ様
その後、織田信長が元々の瑞穂市に再建させたため、同じ名前の寺が二つできたそうです。
瑞穂市の美江寺は美江神社内(中山道美江寺宿)にひっそりとあります。
ちなみにこの地の住所は「岐阜県瑞穂市美江寺」なのです。
道三に美江寺を移動させられた時、当時の地元有力者が強く反発し、地名として残したそうです。
このように歴史を探る上で地名は重要です。
変えてほしくないゾ!
では、もう一つの美江寺(岐阜市)はどうなっているかというと、、、こちらも住所は美江寺なのです
岐阜県岐阜市美江寺町
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話を佐助さんに戻します。
仁王門をくぐると1対の石灯籠が左右に見えてきます。
そう!もう名前が見えてますが、この灯籠が杉屋佐助さんが贈った(寄進した)ものです
いきなり佐助さんがお出迎え
「名古屋 杦屋佐助」
「杉」は「杦(すぎ)」とも書くようです。
またまた勉強になりました
佐助さんの名前が入っている石造は、ある時期を境に「杦」から「杉」へ変わるようです。
こちらは西側の灯籠です。
[西面]
「安政2年 乙卯 九月」
安政2年(1855年)の9月に建てたようです。乙卯は干支(えと)です。
[南面]
「名古屋 杦屋佐助」
[東面]
「献燈 観世音御宝前」
いろいろと言葉の意味がわからないので調べながらブログを書いています
- 献燈(けんとう)とは寺社に灯明や灯籠を奉納すること。
- 観世音(かんぜおん)とは観音菩薩の別名。通称は観音様。
- 御宝前(ごほうぜん)とは仏事に関してお寺様にお世話になった時の御礼。
[北面]
「大垣 八百屋弥兵衛」
大垣市の八百屋さんと二人で建てたようですね!(共同寄進)
大垣市の社寺にも佐助さんがいるかもしれないという手掛かりになりそうです
こちらは東側の灯籠。刻まれている内容は寄進者を除いて西側と同じです。
そして、この灯籠の下の方に付いている赤茶色の横線に注目
[北面]
「名古屋 堀江町 米屋長八」
同じ名古屋の米問屋仲間のようですね!
東側灯籠の赤茶色の横線ですが、以前はこの赤茶色の横線の位置まで地面に埋まっていたように思われます。
西側灯籠と比べるとかなり深く刺さっていたようです。
佐助さん探しで参考にさせていただいているサイト
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「杉屋佐助さんを求めて」
http://teramatiisejosai.travel.coocan.jp/sasuke.html
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こちらに掲載されている写真を見ると、同じ美江寺境内ではあるのですが、灯籠の立っている場所が異なっているように見えます。
恐らく現代に入ってからの寺の改修で、現在の位置へ移動させたと考えられます。
そしてどうやら、この灯籠の灯をつける部分(火袋)も新しい石に見えるので、佐助さんが建てた当時の物ではなさそうです。(笠部分も違うかも)
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さらにこの美江寺には、寄進物トップ3の一人である柴山藤蔵さんの石灯籠も1対ありましたよ
・キヨス本町 柴山藤蔵
・五穀成就(左側)
・天下泰平(右側)
・元治元年 子 九月吉日
佐助さんが贈った9年後の元治元年(1864年)、同じ9月に贈っています。
元治元年は江戸幕府崩壊の3年前。
調べると事件の多い年でした。
・水戸天狗党挙兵
・池田屋事件
・蛤御門の変
・四国連合艦隊下関砲撃事件
数年後、日本は夜明けを迎えますが、藤蔵さんはどんな思いで「天下泰平」を刻んだのでしょうか。
常夜燈(電気)が灯る美江寺。
昔の夜道は暗いぜよ。
佐助さん探しの旅はつづく。
またねー!