父が商社に勤めていて,転勤族だったが,兄と自分が小学生の時は神戸に住んでいた.だから親は灘中学校に進学させようとしていて,塾に通っていた.

その塾が,個人経営の塾だったのだが,考させることに重きを置いている塾だったのが,凄く幸運だったと思う.

小学1年生か2年生か忘れてしまったが,分数っていうものを習った直後に,1/2と1/3を足してくださいって問題を出されて,悩んだ結果,3/6と2/6にすれば足せる事に自力で気がついた.通分の概念に自分で気がついたのである.この時の感動の気持ちは,生涯忘れないと思う.

 

その後,父が名古屋に転勤になり,中学受験はどっかに消えたが,モノを考えることが大好きになってしまい,いつも何かを考えていた.中学生の時に,シャープペンシルに夢中になってしまい,ペン先そのモノを紙に押し付けると自動的に芯が少し長めに出るメカニズムを考え始め,図書館で,機械のメカニズム一式載ってる本を借りて来て,半年間かそれ以上考え続け,実現可能な仕組みを考案した.今だったら,光造形式の3Dプリンターで試作品が作れるが,当時は何も無かったので,結局考案できた満足感だけで終わったが,かなり満足したのは覚えている.

 

数学でも,三角関数表をはじめて見た時,驚いてしまい,確か中学生だったから,どうやってコンパスと定規だけで,こんな細かい数字が出せるんだろう?って不思議に思い,テイラー展開を知らない哀れな中学生の自分は,2年近く幾何的に三角関数表を導出する問題に延々と挑戦し続けた.その為に,数学の教科書は,隅から隅まで読んで,何かヒントを得ようとした.かなり夜遅くまで毎日取り組んでたと思う.

 

中学時代が,こんな感じだったので,同級生と話題が合うわけも無く,ひたすら孤独だったなぁ〜 一人だけ科学好きな人が居て,彼からブルーバックスって本を教えてもらった.

 

高校は,当時の県で1番の進学校だったから,少し期待していたが,中学時代となんら変わらず,かなり落胆した.それで,部活に入って体を鍛えようと思ってテニスを始めた.そしたら,部活の友人は出来て孤独でなくなったが,中学の体力テストで3千人中最下位になるぐらい運動能力が無かったから,部活についていくのが,かなり大変だったので,成績は真ん中ぐらい.

 

高校生の時に,微積分を使わないニュートン力学を習うんですが,これを習った時に世界の全ての粒子の状態が測定できれば,未来が予想できるって思いついて興奮してた(笑) 一般的にラプラスの悪魔って言われる考え方ですね.それで,物理の授業中に,不確定性原理の話を先生が少ししたので,それを聞いて大ショックを受けた.これはかなりの衝撃度だった.それで,物理学科を大学は受けようと思い始めた.

 

ところが,ワトソンとクリックの二重らせんって本が発売されて,これもまた凄いショックを受けて,X線結晶回折なんて当時の自分はよく解ってなかったのに,名古屋大学の図書館で分子生物学の本を借りてきて,読み始めた.それまで物理学科に行こうって思ってたのに,分子生物学に行きたくなった.

 

ここで,父親から,受験勉強しないで,何を遊んでる!って怒鳴られて,受験勉強以外は禁止された.これってかなりの拷問だったよ.受験の科目って,唯のパズルと暗記で,東大とかは,パズルの難易度はかなりだけど,知的興奮ってゼロだからな・・・

 

まあ〜長くなりましたが,自分の原点って,やっぱり小学生の時に通分を自分で考えるって経験をさせてもらったことですね〜あれは良い経験だった・・・