なんか虚しい投稿なんだが、ちょっと言語化しておく。
堀江氏が何が分かっていないのかをログとして残しておく。
そもそも大谷選手って何が凄いのかって話なんだが、彼は野球という人類が勝手に決めたルールの中で、一種の最適化を極限まで突き詰めた選手ってことなんだよね。
野球のルールは、人類が決めたものだが、そういう厳密なルールがあるからこそ、今まで色んな人がそれに魅了され、極限まで自分を追い込み、そのルールの中での最適化を目指した訳だ。ルールが厳密でなかったら、そもそも最適化なんて存在しない。
そういうルールの中で、大谷選手は滅茶苦茶ストイックに最適化を目指して、それに成功したある意味究極な存在なんだよ。
だから、堀江氏が知のオリンピックとかやるべきだってアホなことを言っているが、人間ってルールがなければ、そもそも最適化を目指せない。知のオリンピックってルールは何なんだ?って思うね。
そもそも本当に知的な作業って基本的にはルールを壊すか、新しいルールを作ることっていうことが大前提であることを彼は知らない。
彼は興行的にどうか?って議論を好む人間だ。本当の知の改革なんて全く考えていないと思うんだが、じゃあ、どうやって興行的に面白く見せるか?って議論も全く欠落してる。
野球とかサッカーとかバスケって、見ている人の解像度は全然違うが、見れば楽しい。例えば、伝説的なイチロー選手が野球の中継を見るのと自分が見るのでは、解像度は天と地ほど違うが、自分でもなんとなく相当低い解像度でも楽しめる。
じゃあ、知のオリンピックを仮にやったとして、それって一般人が見て楽しいのかって疑問が凄く生じる。例えば、数学オリンピックなんて昔からあるけど、それって興行的に楽しいかっていわれれば、誰も見ないし解らないよ。今までで成功してる知識を競うのって、クイズ王ぐらいだ。だが、それも答えがある時点で、本当の意味での知の探求にはならない。
大谷選手と同じレベルで知の探求をストイックにやるとなると、もう興行的には絶対に成功できない。大谷選手のレベルって、殆どノーベル賞レベルなんだよね。まあ、ノーベル賞って意味があるのか?って議論がそもそもあるしね。
だから、彼が主張したい議論の根底がそもそも理解できない。
そもそも、あそこまでストイックで素晴らしい大谷選手を自分の意味のない主張の為の材料にする精神性に大きな疑問を抱くね。
彼は人間として何か終わっている気がする。最近、日本の国がかなり荒廃してきたが、彼を見ていると、そういう代表格なのかな?って思うよ。除夜の鐘がうるさいから、やめろって苦情をいう人間と彼は殆ど変わりがない。その精神性のベクトルを見ると殆ど同じなんだよね。

