父は戦争に行った
父は今年96歳。まだ、シャキシャキ動いている。町中を自転車で走っている。
晩婚で、僕は孫と間違われること、しばしば。
昨日のテレビで「行ってみたいリゾート島、云々・・・」とかで「南大東島」が映し出されていた。
戦場になったとは思えないきれいな風景が広がっている。
「南大東島」は沖縄本島の約400km東方にある小さな島。
父が戦争に赴いた地。正確な部隊名は分からないけど陸軍特別編成隊だったとか。
どの部隊にも所属しない特異な部隊。舞鶴港から出立してはるか南方の島に赴いた。
父はこの小さな島で半年間、アメリカ軍の飛行機と闘い、終戦を迎えた。
幾度も銃弾が体をかすめるように、飛んできた。目の前には死があった。怖くて仕方なかったと言う。
食料調達中に空からの攻撃にあい、この時が一番危なかった。体の両脇を弾丸がビュンビュン飛んで来た。
さとうきび畑に飛び込んで助かったと、笑いながら言う。
食料は配給もあったみたいだけど、魚を獲ったり、農作物をとったりしたようだ。
水は雨水だったらしい。
大きな洞穴のようなものがあり、そこに隠れていた事もあった、と言っていたが、テレビでさとうきび畑の地下に広がる鍾乳洞が映っていた。
その奥にはきれいな水を蓄えていた。
状況が違えば、幻想的な光景だっただろう。
水は雨水と言っていたので、また、違った洞穴だったのかも知れない。
或いは、テレビで映し出されていた洞穴だとしたら、その水は海水だったのか。
父は南大東島での日々を、詳しくは語らない。
当然だろうけど、父は戦争はあってはならない事だと強調する。
戦争の話しになると、国益だか何だか知らないけど、殺しあうことで何の益があるのだ、誰が幸せになるんだ、
ワシらは一日一日を静かに平和に、愛で、人間らしく生きていくべきなんだ、と顔を紅潮させて言う。
日本人だろうが外国人だろうが関係ない。人を失った悲しみは例えようがない。
ワシは目の前で、そんな悲しい光景を見てきた。
お前達はそんなつまらない解決方法をとるな。
毎度の父の言葉だ。
この時だけは、僕も神妙にその話を聞く。
風化させてはいけない。