レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々 -76ページ目

狐の嫁入り

一週間程前、下書きに入れていた記事。

玄関扉を開けた時、ふわっと春の匂いがした。

空を見上げると、透き通るような青の中に、白い雲が連なっていた。

ややもすれば、彼らはもくもくと湧き上がり、入道雲になるのではと思うほどご機嫌に見えた。

ここ数日、そんな日が続いている。

ご近所さんとの挨拶も「暖こうなりましたな」「奈良のお水取りが終わるまで、気は抜けまへんけどね」と。

そのお水取りも終わり、気分はもう春うららである。

ところで、息子たちに「奈良のお水取りが終わるまで、暖こうはならん」と言っても、怪訝な顔をするだけである。

大体、お水取り自体知らないし、そんなものが気候に関係するはずがないと、息子たちは言う。

「科学的根拠なんてどうでもええんや。それが日本の風情というものやがな。そんな風にして、日本人の細やかな情緒が育ってきたんや」と、僕は息子たちに言う。

例えば、季語は日本にしかない(と思うが、違うか?)。

俳句が日本独特のもの(と思う)だから、当たり前と言えば当たり前なんだろうけど、その言葉たちのなんと粋で美しい事か。

例えば、季語に使われる雨。

その雨を表現する日本語は、400種類以上もあるらしい。

僕の子供時代は、にわか雨、通り雨、夕立、霧雨、狐の嫁入りなんて言葉をよく使ったものだ。

この季節にしとしとと降る雨を、親は「菜種梅雨やなあ」と、言っていた。

話は好き放題に脱線していくが、僕の育った町では天気雨の事を、狐の嫁入りと言った。

何故、そう言うのかは知らない。

狐の嫁入りは、子供なりに異世界に引きずり込まれたような不思議な感覚だった。

それは大抵夏場に起こる現象のような気がする。

そのような記憶が強く残っているだけかも知れない。

誰かが「あっ、狐の嫁入りや」と言うと、走って近所の原っぱを覗きに行ったりしたものだ。

友だちは「狐たちが、おいらたち人間の目をごまかす為に、雨を降らすんやて。でも、よーく見てると、時たま、ぼわっと狐の行列が見えて、草がザワザワ動くんやて」と、真顔で言っていた。

僕は、固唾をのんで、しばらく原っぱを睨んでいた。

勿論、何にも見えはしないが、時折、生い茂った草っ原が不自然にガサガサと音を立てる気がした。

よくよく考えると、それ以前に大阪市のそれも梅田の灯りが見えるような街中に、狐が生息している訳はない。

それでも、僕の子供時代はあちこちに原っぱがあった。

まだ、その時代は平然と物怪が闊歩していたのだろう。

僕は、何でもなんでも科学的に正体を掴もうとする現代より、狐の嫁入りを信じる時代に惹かれる。

僕がこうして古道具店を生業にしているのは、自然の成り行きだったのだろう。
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