レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々 -590ページ目

1995年1月17日、僕はそこにいた

堺市に移り住んで17年が経とうとしている。

光陰矢の如しというが、全くその通りだ。

書こうか書くまいか、迷っていたが、

少しでも希望につながればと思い、記事にする事にした。

去年も書いたことである。

17年前、僕達家族は阪神震災に遭った。

長男が生まれて3ヶ月たった所だった。

店も自宅の近くにあった。

家族全員怪我一つなく無事だったのは、

今にして思えば奇跡のようなものだった。

店は壊滅的だった。

当時は新刊本屋だったが、

本が傷んでいればとんでもない在庫金額が、

宙に舞う事になる。

店内を見た時、多分再開は無理だろうと思った。

ところが、震災翌日には、20名いたスタッフの内

8割程が店に集まってくれた。

3日目には全員が集まった。

勿論、殆どのスタッフが被災している。

自宅が全壊したスタッフもいた。

問屋さんからは、目処が立つまで応援に来ると

温かい連絡が入った。

出版社からも傷んだ本は引き取りますとの連絡を頂いた。

そういった励ましの中、僕は、店を再開しようと思った。

そう決心してからの店の復旧は

信じられないほど速かった。

店があった商店街も、

準備が出来た店舗から営業を再開しだした。

その様子をみて、希望を失いかけている町にとって、

兎に角、店を再開する事はとても大切な事だと思った。

3フロアあった店の最上階の復旧は断念したものの、

震災から1週間弱で1フロアを再開、

さらに1週間後にはもう1フロアも再開した。

その間、沢山の友達知人の助けがあった。

人の持つ善意と、共に生きようという人の温かさがなせる技だと思う。

世知辛い事も多いが、世の中、捨てたものではない。

今この瞬間にも、被災地で多くの人が頑張っておられる。

どうあれ、自分たちは、こうして生きている。

おかしな表現だが、生きているのだから生きていかなくちゃならない。

明日を信じてほしい。

過ぎてしまったことだからそんな事が言えるんだ、と言われそうだが

その時は、僕も明日のことも見えないし、不安だらけだった。

今もそのキズを引きずっている。


自分が動けば、必ず道は拓ける。僕はそう信じている。




被災地の一日もはやい復興を心より願って・・・